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厚着をして現れた「雪うさぎ」
約3週間前の旧正月の頃、咲き始めた「梅」を紹介しましたが、まだ2月に満開真近の梅も見かけるようになりました。

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関東以西の方は「春に先駆けて咲くのが梅」なのでしょうが、春の遅い東北だとやはり春の便り、椿に入れ替わるように咲くイメージがあります。
そしてその後方の、吾妻小富士には「雪うさぎ」が表れました。「雪うさぎ」とは残雪がウサギのように見えること、吾妻小富士のシルエットに合わせて白1色の山肌に現れます。

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普通の年ならまだ1面が真白の吾妻小富士も、早や中央部に「うさぎ」の形が表れました。まだ顔が大きく耳と言うより鬼の角のように見えますがやがて立派な耳になります。胴体やしっぽの部分もまだ太目、3月には厚着を脱いで「うさぎ」らしくなります。

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北朝鮮と東京電力
2月も末になると、果樹園の剪定も進んでいます。今年は1月に2度の積雪があったものの、雪上の作業が出来る程度、その後の暖かさでその雪も苦も無く消えました。

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震災と東電の原発事故から丸5年の3月を迎えようとしている時期ですが、またここで「風評被害」の課題が表面化してきました。やはりきっかけは韓国での交流イベントは中止になったこと。
なにげなく「風評被害」と呼んでいますが、正確には「いわゆる風評被害」。本来風評被害は根も葉もない実態のない噂話が何かのきっかけで独り歩きし、経済的な損害をもたらすこと。原発事故の場合は現実として放射性物質が飛散した実害、その原因も過程も映像として世界に配信され、一緒に収束に向けての不手際も露見してしまっていること。ただ救いは、昨今のIT技術もあって、旧共産圏のように秘密のベールに包まれた、ということではなくて一部始終が報道・公開されているということ。しかし、人為的に隠せる部分は東電や国は隠蔽いしていると指摘もあり、これも従来の行動からすれば「有り得ますね」と言わざるを得ません。

前回も書いた通り、このような環境で子育てをする母親(ばかりでありませんが)の気苦労や不安は想像に余りあります。

剪定に励む果樹農家との果樹園での立ち話で、突然何を言うのかと思えば「北朝鮮」の話題。このところ福島との交流を拒んだ韓国とも、核実験やミサイルで激しくやりあっていますが、「北朝鮮も東電も似たようなものではないか」という話でした。

つまり、都合の悪いことは隠す、自分の非は矮小化する、約束はするが守らない、名誉欲と保身の固まり。果樹農家の場合、JAを通さず個人で販路を見つけて自分の名前、つまり個人ブランドを確立していた果樹園ほど、例の風評被害の影響が大きいので辛口になるのもやむを得ないのですが、「保身」はともかく「名誉欲」とはというと「農家などに頭を下げない」と言うプライドが見え隠れするのだそうです。
原発事故に関する「自殺」の裁判で、原告は被告(東電)に対して慰謝料と謝罪を求めましたが、この果樹農家は慰謝料も謝罪も要求したくないといいます。要求するのは風評被害で失った利益(それは当然です)、失ったブランド力(商売で言う「のれん代」)、謝罪は要らないそうです、「どうせ形の上で頭を下げても、その下には赤い舌をのぞかせている」のが目に見えているからだそうです。
「その意見ブログで書いても良いですか?」の問いには「個人的な感想です(笑い)」と返ってきました。
鬼婆伝説
今回も引き続き、「電力自由化」について書きたいと思いましたが、21日に文化庁の支援事業の「黒塚伝説」に関わる映画とトークセッションがあり、その感想を。

黒塚伝説とは、通常「安達ヶ原の鬼婆の民話」。現在の福島県二本松市に伝わる伝承で「赤子の胆」を狙う老婆の話。能や浄瑠璃、文楽、長唄、歌舞伎でも上演される演目です。
阿武隈川の氾濫で、集積か周辺の土が流失し露出した大岩を「鬼婆の棲家」に見立てて、能や文楽の物語や地域の伝承と融合しながらストーリーが出来あがり、さらに多くの物語が派生していった逸話がトークショーで語られました。

話の本筋ではありませんが、トークショーの中での逸話です。「鬼婆」と言うものはあるが「鬼爺」はない、逆に「好々爺」あるが「好々婆」はないということ。我々一般人がこのような例を引くと「性差別」になるのですが、高名な民俗学者の発言だと「確かにそうだ」と言う雰囲気になるのはさすがです。

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黒塚伝説、つまり安達ヶ原の鬼婆の物語も、子を思う母親の気持ちが鬼に化身したようなもの。女性、殊に母親が鬼に化けて恐ろしい「怨念」になるということらしいのですが。
上映された映画の方は、黒塚の巨石の上で踊る前衛舞踏家がある瞬間に、踊りの舞台が3.11の津波と原子力災害の避難で廃墟になった、浪江町請戸地区の廃校跡や原野と化した被災地域に移ります。

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舞台の転換が強引かなと思わないこともないのですが、原発事故で飛散した放射性物質を巡って「安全性」が論議され、先日の環境大臣発言でもわかる通り、定説がないままに、「自己責任においてと」言う責任を放棄したような行政機構の見解のもと、子育てをしなければならなかった現実があります。
原子力災害被災地の母親(父親は違うとは言いませんが)の怨念は凄まじいこのがあって、ただそのやり場(東電・国・県・市町村?)が明確でないところはありますが、決してたやすく怨念が消える訳ではありません。

先日、福島県弁護士会の大会があり、弁護士会も「原子力賠償の継続」を東電に要求する決議をたと報道されました。多少外交カードの性格はあるにしても、韓国での福島県や東北の産品の排除(イベントの中止を余儀なくされた)等々、除染や除染廃棄物も含めて原子力災害の被害や、強いられた苦労・苦闘は依然として継続していてます。
その現状で法律家集団が「原子力賠償の継続」と、わざわざ当たり前のことを言わなければならない現状も異常なのですが、またマスコミが伝える通り、東電の賠償窓口が被災者に対して「かなり高圧的な態度」「請求拒絶」をするようになったとすると、またここで「鬼」が生まれてくるかもしれません。

東電が、被災地の「怨念」を低く見積もって、弁護士会が危惧するように「賠償を約束通り行わない」ような事態になれば、津波のリスクを低く見積もって大災害を招いてしまったように、電力自由化対策かなにかで「商売気」を優先して、被災地の怨念にさらに火をつけるようなことがあれば、それこそ存亡の危機になる様に思えています。
もっとも、そうならない為に「献金」と「天下りの受け入れを」を積極的に行っていました、ということかも知れませんが。
電力販売の自由化
果樹園の方に出向いた道すがら、吾妻連峰を写真に収めようと写真のアングルを探ると電柱と電線に遮られました。
地方、まして農業地帯では電線の地下埋設など夢のまた夢、さすがにコールタールの塗られた「木の電柱」は姿を消しましたがコンクリートの電柱は生活インフラを支えています。

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電力自由化の前に、「すでに消耗戦」と言う新聞の記事、各社入り乱れての顧客の抱え込みに躍起で、私鉄系、通信系、メーカー系と傍から見るとよく分からない異分野乱入の販売合戦のようです。かつで固定電話がNTTの独占から新電電と言われる何社かの通信事業参入でも混乱しましたが、それにも勝る状況で「デフレ脱却」とか言いながら「安くなるなら越したことがない」と言う消費者心理も相まっての乱戦のようです。
~のようです、と他人ごとのように言ってしまうのは、地方では送電線例えば1㎞ぶら下がる人数(需要)が少ないので、その分維持コストが高く参入メリットが少ないので、首都圏ほど活発な営業活動はありません。
維持コストの割に需要が多いエリアで独占的に事業をしていた東京電力の過去の収益力は察するに余りまります。
その中でも、安全より発電コストを優先した原発に加え、それの安全神話を維持するための目的だったのか収益性を落としたくなかったのか「トラブル隠し」、規制委員会から津波の危険性を指摘されながら対応を怠った福島第1原発、地域独占の公益事業者が、そこまでして利益を求めた企業体質は何を語るのか。電力販売の自由化の機会に改めて考えたいと思います。
街道沿い
旧奥州道に差す光にも少し柔らか味が増しました。24節季のひとつ「雨水」だした。もっとも粉雪ならぬ水分を含んだ湿った大雪で、ハウス倒壊などの被害が出るのもこれからの春雪なのですが。

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旧街道は街中を通るため、自動車の交通量の増大につれ国道4号線はバイパスと称して町内は迂回、そちらの方がはるか以前より本道でそれも拡幅工事でさらにロードサイド店が集まります。

高速道路と4号線にはさまれた市街地の旧道は、タイムスリップしたように通る自動車も疎ら、商業地帯も街道沿い、駅前、ロードサイド、そして新設のインター近くと10年と言わず昨今は5年刻みで動いて行きます。

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今は洋品を扱う老舗の商店、別件で伺うと雛飾りが。この辺の街道沿い、何年か前から吊るし雛やらレトロ看板やら今の時期に企画をしていました。当店独自で飾ってますと言っていましたが、疎らな客足(失礼)を繋ぎとめる活動も大切。老舗ならではの何代も続く飾りもあることでしょう、新興の商業資本が出来ないことを「こつこつ」と、というのが地域振興の在り方かもしれません。
冬の晴天
寒さとの小雪の舞う天候から一転、風もなく暖かい陽が降り注ぎました。雪の上で切り落としていた果樹の枝も、集めて運搬や焼却の白い煙も目立つようになりました。焼却と言っても丁寧な果樹栽培農家は「灰」にするのではなく「炭」にします。燃料用の「炭」ではなく、果樹園の土に戻せば微生物が住みつく土壌改良に役立ちます。

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先日は昭和の大曲家「古賀政男」と「古関裕而」の話題になりましたが、私はあまり好きなキャラではないのですが、やはり国民栄誉賞の大歌手の「美空ひばり」。ひばりの歌してはマイナーなヒット曲に「越後獅子の唄」というのがあって、そのまた2番に「撥(ばち)打たれて空見上げれば、泣いているよな昼の月」と言うくだりがあります。
冬の冷えた空気のなかでくっきりと空に浮かぶ「昼の月」を見ると雪や氷とも違う「冬の風景」の一つだと思います。他の時期だと霞んでしまい、これだけくっきりとは見えてきません。

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その月の反対方向には、雪を頂いた「蔵王」の連山。これも青空を背景に、手前の雑木林の向こうに堂々と鎮座します。頂上付近しか見えないところが、かえって距離感と周囲と対照的な純白を引き立たせます。
とはいえまだ2月半ば、福島北部もあと何度は雪に見舞われ、凍結した土壌が凍み融ける約ひと月後から、水田の作業も本格化します。
植物工場
最近、植物工場の話がややトーンダウン気味か。福島県内でも運営が変わったり、千葉県の大学発ベンチャーは倒産したり。経営は変わっても運営はしているようですが。もっともあれだけ施設に投資をすれば、資金の貸し手とて止めさせるわけにもいきません。

「植物工場」がニーズだったのかブームだったのか、そろそろ検証が必要です。農業先進国「オランダに見習え」も昨今「国情や立地の異なる国を真似して大丈夫か」と、これももっともな意見も出てきて農業先端産業化の動きも植物工場に関しては一段落のようです。
「ニーズ」と「ブーム」のはき違えには、ドナルト・トランプ共和党候補のことが頭をよぎりますが、「ブーム」であったと断定するのは米大統領選挙の後にしましょう。いくら現状にいら立つアメリカ国民とは言えトランプ氏の政策や主張を「ニーズ」であるから実行しろとは思わない気がするのですが。

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アメリカ大統領はともかく、日本の農業に関しては現行維持が、消費者・生産者とも「ニーズに沿った体制」とは思っていない筈で、現行のままの生産供給体制維持を唱えるのは、従来の体制で既得権を持つ中間流通などの特定の事業者に限られます・・・と言ってしまうと、あちこちから異論が舞い込むので ~の意見もある、程度に止めておきましょう。

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少し前までは、携帯電話3社の中でS社は都市部はつながるが、山間部に行くと「圏外」になると言われていましたが、その[圏外」と言うのももはや死語に近く、日常生活や仕事のレベルでは切断でもしない限り携帯が繋がらないところもなくなりました。
逆にそれだけ普及して、生活や仕事上欠かせないアイテムになった携帯電話も「先端的な農業」に使えないかとの事業を進めたいと思っています。

栄冠は君に輝く
演劇をしている知人が、2年ぶりの公演をするとのこと。仕事も持っているので(仕事を通じての知り合いですが)、もちろんプロではありません.演劇の世界に嵌まって大学をずいぶん留年したと言う「筋金入り」,演劇論で卒論を書き「しょうがねえな」と卒業させた大学の教授と私が長らく共同研究をしていました、彼とはいろいろな因縁があります。
もちろん共同研究の方は演劇とは全く関係はありませんが。

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公演会場は福島市音楽堂、久しぶりに行ってみました。なかなか、このような事でもないと行かないところです。さすがにアマチュア(セミプロ?)とはいえ会場内は撮影禁止なので、とりあえず会場外観です。

この音楽堂こけら落としの頃は「クラシック専用」のふれ込みで、歌謡ショ―などはご法度でした。今はどうか知りませんが少なくとも演歌歌手が来たような話は聞きません。明治大学マンドリングラブの演奏会の時、明大マンドリンクラブの大先輩「古賀政男」の曲をプログラムに入れていたら歌謡曲はダメと会場貸出まで言及されて「そこまで制約するのは如何なものか」と言う論議になったことがありました。かなり以前の事なので、どう収束したのかしなかったのか覚えていませんが。

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音楽堂の隣に立つのが、古賀政男と並ぶ昭和の大作曲家「古関裕而」の記念館。福島市出身で代表曲は「東京オリンピックマーチ」や「栄冠は君に輝く」か(ちなみに東京五輪音頭は古賀政男)。福島駅の新幹線の到着の音楽は夏の甲子園の大会夏「栄冠は君に輝く」、甲子園から遥か遠く、別に優勝校を出したわけではないこの地に大会歌が流れるのはその理由です。

古関裕而の場合はその他にもNHKのスポーツテーマや各大学の応援歌、各校の校歌など各方面の作曲を手掛けていましたが生前古賀政男より評価されていなかった側面があり(古賀氏は死後に国民栄誉賞)、音楽面の評価は劣らないが戦時中に国威発揚のための「軍歌」も手掛けた(作曲家高木東六も同じことがいえます)ということがマイナス材料だったようです。もちろん私などは晩年の好々爺のような古関裕而しか知らないのですが。
とにかく、禊ぎを済ませてその後活躍をすればそれでよし、禊ぎも後始末もせぬまませずに「電力自由化対応」などに走る、実質破たん企業には呆れてものも言えませんが。





日本の美しさ
会津方面から福島市に抜ける国道115号線、トンネルが出来る以前の「土湯峠」越えの頃は冬季間は封鎖で、49号線の中山峠越え郡山から猪苗代に抜ける道まで南下しての会津行きになりました。
戊辰戦争で鶴ヶ城を攻めるさい、官軍(会津の人は西軍と呼びますが)が積雪前にケリをつけたいため、総攻撃に次ぐ総攻撃をし掛たと言われています。

特に薩摩の出身者など雪の壁には閉口したに違いありません。「昔薩長、今東電」と、何とも怨念の消えない土地柄です。

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猪苗代(会津)方面から福島方面に向かい、横向温泉を越えると勾配が増します。皇太子妃が独身時代に小和田家の家族旅行でスキーをしたと言われる箕輪スキー場、青空の下白い雪にリフトが伸びています。遠目にも樹木に雪が貼り付く樹氷もみてとれます。

この撮影した場所から幾らも離れていない場所の同時刻、西側の会津方面を振り返れば夕暮れ真近の磐梯山。

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黄金(こがね)の山と民謡に唄われたように黄金色に染まっていました。ほぼ同時刻に東と西ではこれだけの風景の差、何とも幻想的な風景です。
どうもオリンピックの年は各国ともナショナリズムが台頭してきます。お国自慢は風景くらいにしておいたほうがよさそうです。

言わんこっちゃない
打合せ先との行き来に、また近隣のコンベンションを利用したときに、期間短縮のために時々通る裏道。トンネルをくぐり温泉街も二つ経由するので、さすがに大雪の時はおとなしく平地の国道を経由を経由しますが。

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さて、時節柄国籍不明の恒例行事「バレンタイン」、クリスマスは別格にしてもハロウィンに追い上げられ、影が薄くなっているかと思えば、これがなかなか相変わらずチョコレートの需要に貢献してるようです。発端はチョコレートメーカーの販売戦略とも言われますが、カカオ豆からこだわるとかビジネスチャンスは「隙間」の方まで伸びているようで、その意味ではいい傾向だと思われます。

さて、バレンタインの時節柄「不倫」騒動の国会議員。これが、議員の育休を提案し「イクメン」を演出した人なので一発レットカードもやむを得ないところ。現職の環境大臣に「いちゃもん」をつけられた「元環境大臣」のかつての不倫騒動は、このような過剰演出がなかったので、相手が有名アナウンサーにも関わらず「議員辞職」まではなかったと記憶しています。

新年早々からのもう一つの不倫騒動、「ゲスの極み」を引用して、「ゲスの勘ぐり」からすれば「身にやましいところがあると、イクメンなどと言ってカミさんの機嫌を取るんだよね」というところか。
個人的なことを言えば、妻の母が早くに亡くなっていたので出産準備から出産、10週あたりからの保育所送りとそれなりの育児をせねばいけなかったのですが、国会議員にも歳費(給与のようなもの)はあるのですが、労働の対価、労働報酬とは性質が違うのと一般の労働者にはない職務上の特典もあるので「議員の育休」とは、どうもなじまないのではないかと思っていました。
多くの識者が言うように「宮崎議員の場合パフォーマンスの色が濃い」と言う指摘を裏付けてしまった格好です「だから、言わんこっちゃない」。

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で、通りがかる温泉街の話。
近くにスキー場もあるのですが、そちらは併設のホテルもあり、リゾートと言う雰囲気はあまりなく「昔ながらの湯治場」という温泉地、当の旅館組合は「高級リゾート」を名乗るかも知れませんが。

昼下がり、行き交う車も少ない温泉街の道路を「湯治の老夫婦」。何とも絵になるのですが、あまり近くで撮るとさすがに「映像権」の問題が出るのでロングで失礼しました。
通りがかりですので「湯治ですか?」直接確かめたわけではありません。まさか不倫ではないと思うのですが。
米沢駅
いつもは車で行く山形県米沢市の連携先、この日もそうですが、新幹線で来るこれまた連携先を迎えに米沢駅に。
冗談抜きに、この駅に来たのは20年ぶりか。写真で見たことがあるモニュメントに小雪が舞っていました。

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米沢も町を二分するように最上川が流れ、デパートがある商店街、米沢城跡等の観光資源、そしてこれから行く連携先の山形大学工学部や興譲館高校などはこの駅の対岸、しかし「山形新幹線」と並ぶ交通つ動脈「国道13号線」や建設途中の高速道路は駅側で城下町特有の再開発が大変という都市の構造です。
ですから、駅前はそれらしいロータリーや観光客用の飲食施設はあるものの、映画のセットのようにそこを抜けると町はずれ、あとは橋を渡ってまた街並みが出てきます。

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この時期にしては積雪が少なく、幹線は融雪道路でも脇道はそうではないため、雪に乗り上げるようにして脇道に入る米沢の道路事情も今回はそのようなことはありませんでした。
仙台から来た同乗者も、「仙台とあまり変わりませんね」ということでしたが、大学構内に入るとさすがに積雪で駐車スペースを探すのに大変です。雪のない時期は街路樹の隙間辺りにもぐり込めるのですが、この時期だとそうも行きません。

福島県の会津若松もかつての大河ドラマ「八重の桜」を引きずっていますが、こちらもそれ以前の「天地人」の観光資源がまだ生きているよう。
まず、話題のネタがあるどけまだ良いのかもしれません。おそるべし[NHK」と言うべきか。






昭和のコント、平成の現実。
「ペンキ塗りたて」のベンチに腰かけて驚いて飛び上がる。または衣服に縞模様のペンキの跡がつく。
昭和の時代に見かけたよく見かけた「ベタ」なコント、昔はこのくらいの仕掛けで笑いが取れました。公園の「ペンキぬりたて!」の看板を見て昭和の笑いを思い出しました。

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建国記念の日、以前は「この日に建国の根拠がない」と「天皇制」から「憲法制定」まで含んだ論争になりましたが、昨今は1月遅れの
11日の東日本大震災、あるいは安保法制や北朝鮮の打ち上げ花火の影響か、そのようなあまり論議を聞かなくなりました。
根拠のよく分からない祝日も増えて「とにかく休めればいい」という風評なのかもしれません。

二千六百何十年か前とされる神話上の日本建国は気の遠くなるほど昔の事かと思えば、放射性物質は元素によっては半減まで万年単位と言うものもあって、原子力発電によって生じた核燃料の残骸にはそのようなものも含まれると、その処理を将来に先送りしたまま原発を動かすのはおかしいと小泉元総理が福島に来て持論を述べました。「私は現職総理の頃原発のウソにだまされた」とこれだけのことを言う政治家も珍しいと言えば珍しい。
たしかに、使用済み核燃料の再処理も保管も目途が立っておらず、国内で原発の発電が全面的に休止していた時期も停電などはなかったと言う論拠も現実に基づいたものでまさに事実です。
このことについては、二酸化炭素と温暖化問題・たまたま綱渡りが上手くいったとの反論もあるのでしょうが、講演のペンキぬりたてのほのぼの看板の脇には、また平成の現実を表す看板も立っています。

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もう4ヶ月近く前の情報と0.15μSv」/hと言う空間線量がなんとも緊迫感を欠くことになってはいますが、この辺の地下には埋設された除染廃棄物もまだあります。電気の価格と安定供給を将来的に確保する「原発」の論議も「ちゃんと過去を精算してから始めてください」と思うのですが。
金目と環境大臣
原発事故直後、弁護士出身らしく「言質を取られにくい」とおもったのか~直ちに健康被害を及ぼす値ではない~を連発して、中長期には被害が出るとも取れるという言い回しで、風評被害を煽る形になり不評を託った震災当時の官房長官の枝野氏が、やはり失言で辞任した原子力政策の主務官庁の経産大臣に任命された時は驚き、かつ「またか」と落胆したものでした。TPP批准を前に「カネ」に足元をすくわれる形で辞任を余儀なくされた甘利氏の後任が、「最後は金目でしょ」「サティアン」と失言を繰り返した石原氏と言うのも、「マジか!」と言うところ。

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福島市内でも近隣に仮置き場が確保できず、地下仮埋設も出来ない場所はこのようにシートで覆って置くしかありません。市から依頼された監視員がチェックしているので「健康に被害を及ぼす数値」ではないのでしょうから、現実的には致し方ない「残骸」なのかもしれません。
それにしても、このようなものは数値も低い方が良いわけで、現職の環境大臣が民主党政権時代の環境大臣の「当時の環境大臣が勝手に決めた」というのは、被災地の心理からすると「また、しょうもないことを言った」とみてとれます。
当時の環境省の細野大臣、菅・野田総理と迷走が続いた事故とその直後政権の時に、比較的被災地では評判の良い政治家だったのですが。
その道の素人が、被災地を遠く離れた長野県で自民党議員の応援のつもりの「リップサービス」なのでしょうが、国会で発言を取り消し陳謝する羽目になりました。もっともメディアは多くは伝えず、関心は「育休議員の不倫報道」のようです。
日本人の宗教
イスラム教のスンニ派とシーア派の区別などても出来そうにありません、大体それらを信仰しているアラブ系とペルシャ系の民族も写真を2名並べられれば見当がつく程度。「各々と成り立ちと特性を述べよ」とか言われても全く歯が立ちません。まして「紙に記入せよ」とのことになれば、署名以外の字を書く機会すらなくなり、キーボードの入力変換機能に頼らざるを得なくたった、能力の低下は目を覆うばかりです。

福島市も郊外、昭和の合併で福島市になったそれ以前は、町だったのか村だったのかと言う辺り、細い路地を抜けると突然モスクが。
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モスクと言っても、素人から見ればそのように見えると言うだけのこと、全く違う施設かも知れません。その辺りからあやし知識です。

先日見かけた、旧暦の正月を寿ぐ神社もこの近く、モスクは例外的にも宗教や信仰は結構見身近なところにある国です。先日僧侶の手配をAmazonでもできるようになったということ、宗教行為は商品ではないと日本仏教界は反発しますが、「これで生臭坊主を駆逐できる」という意見もあって、不埒を承知で行く末を興味深く見ています。「商品」でないにしても「サービス」ではあるような気がします。

震災後にアメリカの写真家を被災地に案内したときに、彼女は(NY在住の女性です)仏教徒と名乗りました。避難地域の中の神社仏閣を案内したのですが、スンニ派とシーア派ならぬ、基本的には異なる宗教のテンプル(寺院)とシュライン(神社)の説明でまた手間取り、歴史上で存在した「神仏習合」に至ってはとても思いつく単語が見当たらず、神宮寺(神社の中にある寺)などは全くのスルーでした。

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日本人の宗教観、あまり深く考えず、臨機応変必要な時に必要な方を利用するという感覚、敬虔な~とはいえませんが「これもまたよし」なのかも知れません。
地方紙
このところ、国の認定事業のプレスリリースもあって「地方紙」に立て続けに出ました。地方紙と言えど侮れない(別に侮っていませんが)もので、東京などの研究者からも「ネット配信で拝見」などとメールが入っていました。むろん私と言うより福島への関心の高さがうかがえます。

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掲載された日の夜に私のコメントのにたいする感想として、やはり地方紙記者だった知人が携帯に電話、コメントが手緩いとの内容で「東電など原油安で最高益を上げながらろくな賠償をしていない」と現役時代から激情型記者とし知られていただけあって、少しアルコールも入っているのか「東電も東電なら安倍も安倍」と相変らず過激です。

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彼が在籍していた新聞は、現在「賠償」に関する記事を連載していて、住民が「ADR(裁判外和解手続き)」「裁判」で東電と争っている様子が報道されていて、係争の相手は「東電」もさることながら「時間」との闘いであることも書かれています。

一口に賠償と言っても「慰謝料」「財物賠償」「営業損害」と多岐にわたり、一緒くたに論ぜられないところであって、また「慰謝料で暮らす高等遊民」のような切り口でネットで話題になったりするので注意が必要ですが、これも今後も避けて通れない復興に向けての課題です。

これで仕事や生活を無くした人もいれば仕事を得た人もいるところが、事態を複雑にするのですが被害者の分断は避けたいところ。
ここにきてまた東電が電力販売自由化に向けて値下げプラン。「そんな金があったら」元新聞記者や明日が見えない被災者の咆哮が聞こえるようです。
春節とミサイル
旧正月に合わせて爆竹ならぬロケットが北朝鮮から飛びました。何とも人騒がせな国もあったもんです。

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通りがかった神社で立派な「しめ縄」が、幣束の様子からして1ヶ月以上前の正月の飾りではないでしょうから、旧正月用のものと思われます。日本はともかく中華圏では旧正月が年間で最も大きな祭日で「大型休暇」にあわせた爆買いツアーが話題になっていました。
日本でも農事を司る神社の縁日は旧暦であることが多く、その影響かと思われます。

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昨今の植物工場はともかく、古来農事は季節や気候と密接な関係を持っていてこの神社の近所に「梅」のほころびを見つけました。「暖冬」と「平年並み」を行き来するようなよく分からないような今年の気候でも、日脚の伸びと合わせるように春の気配も見えてきました。

さて、北朝鮮の弾道ミサイルの話、「日米韓」の制裁や自粛要請に比べ対応が緩いとされる「中ソ」。特に中国の対応が論議を呼んでいますが、中国としても北朝鮮が破たんして、欧州のシリア難民のように北朝鮮難民が大量に流入しても「困る」ことになるのでしょうし、東西ドイツの統一のようなソフトランディングが成功したとしても、統一の際西ドイツに当る韓国がアメリカの影響が強いとなると、国境の向こうに米軍が駐在することにもなりかねず、これも好ましからざるところで、ごまかしごまかしでもなんとか国の体裁を維持してほしいと思うところです。

だからと言って、水爆、弾道ミサイルとなると「おもちゃ」にしては危険すぎて、「全く困った」という事になるのですが、我が国にも「東電」という困った存在が出来てしまいました。これも北朝鮮と中国の関係と同じで、我が国の中央官庁も「潰してしまうと後の処理が大変」と、体制存続を図ったのですが、それを逆手に東電も「潰してしまうと後の処理が大変ですよ」と開き直っているところが見えます。順守するはずの「ADRの和解案の拒絶」などがそれなのですが、言動不一致を恥じることなく「煮るなり焼くなり勝手にしろ」と、ケツをまくった方が強いというのが安手の時代劇そのままに見えてしまいます。
雪の合間に
雪の合間に、積雪のなくなった果樹園の枝の片づけ。これが処理方法も含めて結構難関です。

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理想的なのは、畑の片隅などで炭化して土壌改良材として畑の土に戻ることですが、面積が多くなるとそうばかりも行きません。果樹園から白煙が上がり、焼却・炭化の作業も見受けられますが、何せ空気が乾燥している冬期間、火の取り扱いには細心の注意が必要です。
炭化すると炭の「多孔質」構造によって、微生物が定着しやすい環境になります。また、水はけ水持ちがよくなり長雨や過乾燥の気象災害にも強い土壌になるのですが。

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こちらは、現場での「技術指導会」のようです。果樹の剪定技術などは毎年更新されることもないのですが、折々の情報交換は大切です。県とJAの車があったので、指導員はどちらでしょうか。
もっともJAにかかると、基本的な剪定技術や土壌改良を飛び越えて、今度新発売の画期的な肥料の話になるのですが、もちろん何が画期的なのかわかりませんが。

2月の蝋梅
1月にも載せた蝋梅(ロウバイ)の花、寒さの中で花の数を増やしています。
色はともかく、梅に似ているので蝋梅と梅の字が入るのでしょうが、梅・桜のようなバラ属ではなくクスノキ属。植物としては全く異なるものです。

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もう何年も空き家になっている家の前庭、剪定もままならず伸び放題の枝に、文字通り無数の花が付きます。しかし、ひとの手が入った庭よりも季節が分かりやすいのもこのような庭。荒れているといっても時折家主の方が管理に見えるので、ジャングル状態と言うわけはありません。

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朝の霜や雪どけの雫を光らせた花や枝も幻想的で、温暖な季節に咲く桜とは別の美しさもあります。
2月5日は曾祖父の命日、90過ぎの大往生で当時としては驚くほどの長寿でしたが、現在では当たり前の死亡年齢、百歳でも超えないと「長寿だった」と言ってもらえなくなりました。明治期に蚕の蚕種の商いを始めた当社のルーツになります。
冬の青空
久しぶり、にくっきりと晴れあがりました。節分・立春とはいえ冬の最中、一昨年の大雪も2月でした。

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仙台に所用で向かう途中、福島駅近くの駐車場でビルの合間から見る「空の青さ」です。
仙台にしろ東京にしろ向かう車中は「文書に目を通す」「普段読めない論文などをよむ」などと、なぜか普段より忙しくゆっくり外を見る余裕もないのですが、さすがに車を止めて駅に向かう途中くらいは、季節変わり目を感じたいものです。

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逆に仙台市は曇天、福島を出る直前で夕方のアポが入り、向こうでの会議終了早々のとんぼ返りで「帰りがけに牛タンでも」というわけにもゆきませんでした。もっとも途中まで車で来ていると、牛タンにビールや酎ハイを付けることもかなわず、そちらには縁がなかったという事で、後日の楽しみにしましょう。
ちょっと言葉が出ない値段
先日の雪の残骸が、まだ街に残る中で雪に隠れていたように色々なものが目に入ります。

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道路沿いの食料品を売る店、信号待ちのあいた車の中から表に出ていた商品を見ると、1本78円の大根。本日の目玉商品のようです。暖冬と言われた年末年始、もう少し遡ると、観測史上でも稀な高温だった昨年の11月。暖冬で野菜の出荷が豊富で産地が泣いていると言う話、「出荷せずに廃棄します」と言う農家の報道があってしばらくすると、雪と低温で野菜が高騰して「消費者が泣いています」の話題。何とも、泣く人の多い国か。

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何とも前近代的な青果の流通システムが残っているのですが、では「天気が変えられるのか」というとんでもない言いがかりを言ってくる向きもあります。
もっともこの乱高下で、儲かる仕組みもあってそれで生き残っている中間流通もあるのですよと言うと、市場筋からは「とんでもないいいがかりだ」と言われてします。

さて、この78円大根、営業妨害と言われるのを覚悟で言うと、サイズはLL。つまり大き目で、通常Lサイズで10kg箱10本入れが標準品。多分育ち過ぎで中に「す」が入っている可能性があって普通のスーパールートから外れたもの。神奈川の三浦産なので一旦首都圏の市場に入荷したものの転送品で何かの抱き合わせで仲卸が押し込んだもの。と勝手に推測していました。

もちろん推測です、宅配便で送るとそれだけで売価を超える段ボール。廃棄品(失礼)が商品になります、取り扱ってもおそらく誰しもが得をしない、目玉品や抱き合わせで初めて「メリット」が生じる大根。ともあれ店に置かれ(おそらくは)誰かが買って食用となるだろう商品流通は、不合理なのか合理的なのか、何とも難解なのが普通では量か調整できない青果物流通です。


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意識高い系
クリスマスの頃に一度紹介した復興住宅の工事現場のイルミネーション、工事の進捗に合わせて場所を変えて2月になっても継続中。
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もっと裾も広いのでしょうが、工事現場の白いフェンスに遮られて、外から窺えるのはここまでです。

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時間で少しずつ色を変えるのですが、微妙な違いが写真ではわかり難いのが残念です。ファラッシュを焚かなかれば発光する光の区別がつきやすいのですが、今度やってみましょう。

福島の原子力災害に関して、最近新聞でも「意識高い系」の弊害を指摘するようになりました。反原発の運動者やそのような理念を待つ人たち、反原発に限らず健康や環境問題に造詣が深く、場合によっては(よらなくとも)過剰に反応する人たちです。もちろん環境や健康のためならコストは厭いません。

福島県民のことを「国・東電」の被害者とするものの(共謀者と見る過激な意見もありますが)、被害の実態をことさら大きく見せることによって、反原発などの運動にはづみを付けようとするもの。ハード的な被害、例えば原発の建屋が吹き飛んだなどは誰が見ても一目瞭然なので、指摘は目に見えない「線量」「線量の判断」「被害者心理」などに及びます。
別に被害を矮小化する意図が明白な東電も困りますが、押しかけてきては被害を吹聴する「意識高い系」にも正直戸惑います。

東電の場合は、被害を矮小化することで自社に対するマイナスイメージを小さくして、あわせて賠償金額の軽減を図ろうとする、姑息ではあるにしてもある意味合理性も(自己保身についての)行動としては分からなくはないのですが(許せる許せないとは別の話です)、意識高い系はどうも発言や行動の合理的な根拠が分かりません。「勉強不足」と一喝されればそれまでなのですが。
2月になります
さて、2月です。
震災からもう5年というか、まだ5年と言うか。

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復興住宅の建設も進んでいます、福島市内に住居を求めると言う事は「帰還せず」ということですが。
アメリカの大統領選挙の各党予備選挙は、2月から本格的に始まるようですが、震災特に原発事故対応は震災以後に政権交代があったために、余計ややこしいことになっています。「政権交代がなかったら」と考えてもちょっとゾッとしますが。

考えてみると4日に調印されるTPPも、民主党政権時に参加の議論が始まったもので、民主・自民間での論争もコップの中の争いうのようなもの、原発再稼働も事故処理も似たようなものです。

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残雪のなかの2月のスタートですが、地元大学の研究者の予想では、震災から5年でこれから過剰な報道が繰り返され、来月11日以降つまり5年経過を節目に、一気に風化が進むだろうということです。国民の事故に対する残像は、5年前の事故以来2か月程度の壊滅的な爆発現場のと逃げ惑う避難者の映像が3.11の記憶として残るのだそうです。こうなると、風評被害の払拭などとてもできません。
いつまでも事故を引きずるわけにはいきませんが、事故や被害を矮小化されたのでは、これもたまりません。現状のように与野党の足の引っ張りあいのような政策論争に利用されるのもまた困ります。
現場としては、粛々と再生への道を歩むしかないのですが。