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合理性とは
梅雨の中休みです。梅雨入り宣言からは間もないのですが、それ以前から低気圧の影響で雨が多く、久しぶりの晴れ間です。

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たぶん、大人以上に晴れ間を望んでいるのは子供たちで元気に走り回っています。ここの校庭は以前は芝生のグランドでした。除染で剥ぎ取られ、砂を入れられて何の変哲もない「校庭」になっていますが。

先に書きかけた「合理性」のはなし、東電の広瀬社長は賠償の新基準の説明で、「営業損害が続く限り賠償をする」「余分に掛かった経費も合理的な範囲で賠償に応じる」と至極もっともな発言をしていたのですが、担当者レベルでの具体的な進め方の説明会では、2年先のことは確約できないなど相当後退した説明に説明会では「納得できない」との異論が相次いだと言うこと。
これには伏線もあって、東京電力福島復興本社などと「看板」は立てたものの、何をするにも東京本社の判断。損害賠償の相談でも福島の窓口でするのは様式への記入方法の説明程度で、詳しいことは電話で東京と話すことしかありません。それも電話の先は、コールセンターのオペレーターで一応謝罪はするようですが、マニュアル通りの受け答えしかせず「交渉」とか「相談」の対象ではありません。被害者の商工団体側では、そのようなストレスも聞き及んでいて尚更厳しい意見が相次いだものと思われます。

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広瀬社長の言う「個別に事業者のご事情をうかがって合理的な判断で」と繰り返すのですが、会社としては何もせずに「うやむやに」と言うことでしょうか。

で、そもそも東電が「合理性」「合理的」と言うことが可能かと言うこと。
以前、本かネットかで見た意見に「原発事故後に東電を潰してしまえと言う主張は、一時的な感情的な暴論で、発・送電を考えると合理的ではない」と言うものがありました。当時の政権も「事故の責任や後始末は東電にさせる」とのことで、一応国費を投入して存続させたのですが、これはどう考えても「利」の話で「理」の話ではないと思うのですが。
関東の電気が無くなるとそれは困るのですが、必要な施設や人員を最低限買い取れば済むこと、法人としての東電でなくとも出来るように思います。そもそも、「国策に従った」「千年に一度の天変地異であった」と同情すべき点はあるものの、基本的には廃炉費用と損害賠償等が巨額で会社としての存続が出来なくなり、「仕方なく」「便宜的に」東電を存続させたわけで、社会や経済のルールからして何の合理性も見いだせない東電の存続で、しかもそこで雇った電話オペレーターに返答マニュアルに従って「あしらわれる」だけの被害者の「怒り」は想像に難くありません。
目先の損得は割高になっても、歳出超過の企業は倒産・破産。経営者、出資者は一定の責任を負う。その上で国は社会的な影響を最小限に止める手立てを講じる。これが合理性だと思います。




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怒髪天を衝く
物騒なタイトルになりましたが、東電の話。
梅雨入り宣言の途端に、堰を切った様に雨が降ります。雨の昼下がり福島駅周辺が混雑していると思ったら、TBSの「音楽の日」なる生放送。かなり有名なシンガーの生ライブが駅のホームであり、SLが東北本線を走るとのこと。後でテレビを見ましたが、かなり有名なシンガーたる男性アーティストを初めて聞きました。因みに仙台駅は香西かおりだったとのこと、そちらなら分かります。

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4月から始まり6月末で終わる福島に旅行者を呼びjこもうとする「デイストネーション・キャンペーン」の最終イベントの意味合いもあると聞きます。震災復興を後押しする試みのひとつです。

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以前の平穏な生活が戻っているようにも見える福島ですが、避難からの帰還の問題、産業振興の問題と課題は山積みです。

昨年末に東電が営業損害の賠償を5年間つまり来年3月で打切る素案を発表して、産業界から猛反発がありました。そこで資源エネルギー庁からの指導もあったとのことで素案を撤回して、これから2年分を一括で支払いその後は個別事情によって対応すると言う回答で、東電の責任者と福島県知事の交渉でも「個別事情」を勘案するなら、との条件でおおむね了承をしたようです。
つい先ごろも東電社長が誠心誠意被害にあわれた皆様の・・・との決まり文句で、「2年経過後も被害状況を各事業者に確認のうえ賠償する」と東電案に理解を求めたと言う報道でした。

それを受けて、6月26日に営業損害者の事業者説明会が、各業界の団体を対象に行われたと言うことです。商工会などですが、事務局や担当者対象ですがその中でもかなりの不満や異論が出たと言うことです。各業界団体と言う括りもかなり微妙で、例えば、旅館・ホテル業界でも復興需要や先に上げたイベント等によって事故前の水準以上の稼働率のビジネスホテルがあったかと思うと、原発事故によって殆ど人が入らなくなった修学旅行や教育実習専門の旅館があります。設備産業で立地の制約もある旅館業で急に「ビジネス客を入れろ」と言っても無理な話で、ですから各団体の出席者も会員業者の収益に濃淡があり、団体の総意と言われても、発言に困ることもあるはずです。

また、自民党青年局の勉強会で、講師のお騒がせ小説家が「沖縄の新聞2社をを潰せ」と言ってこれも騒動になっていますが、県単位で地方紙が2社あるのは沖縄と福島くらいだと聞いたことがあります。沖縄の事情は知りませんが、福島の地方紙2紙体制は色々歴史的な経緯はあるのですが、「読売系」と「毎日系」になります。事件・事故の報道は基本的に事実を伝えるので差はあまり感じませんが、社説など報道機関の考えたか入る記事は何となく「親分新聞社」の色が出ます。もちろん、読売・毎日の違いなので、朝日と産経ほどの差はないのですが。

さて、先の東電の説明会の記事ですがかなり体制に近い意見の読売系の地方紙の報道でさえ、東電への不満が充満して相当厳しい反論や質問が出たと言う報道です。「4年何か月経過しても東電の賠償姿勢には誠意が見なれない」「担当者に電話も取り次がない」「請求書の用紙も送ってこない」もっとも請求内容を見ないと賠償するしないも判断できないはずで、被害者の団体が怒るのも分かります。
しかも、先に約束した2年後の個別対応も「2年先のことは担保出来ないと」知事に対する約束も反故にするような発言だったということです。
もっとも東電にも言い分があって、事業の再生のための集中支援期間を終えても「賠償」があるとなると自助努力をしなくなる、と言うのももっともな考え方です。しかし、第三者的な役割の損害賠償紛争解決センター辺りが言うのならまだしも、事故加害者たる東電に言われると、いかに団体事務局の職員であろうとも怒るわけで、これが実際の被害事業者で先が見えない状態であれば「怒髪天を衝く」のも当然すぎるくらい当然です。

私は幸か不幸か東電と直接交渉したことはないのですが、例えば漢方薬の薬草を栽培している薬剤師などは農家でないのでと言う理由で栽培しても売れない損失を賠償しようとしないそうで、この薬剤師は以前からの友人で決して激情型の人間ではないのですが「東電は人間ではない」と怒りを込めて語っていました。漢方薬などは有機農産物と一緒で健康に気を使う人がマーケットで、県外であっても青森から長野まで、本州の北半分の生産の薬草はまず売れないとのことでした。

東電の広瀬社長が語っていた「合理的理由」の「合理」についてまた書きたいと思います。
梅雨入り
「東北南部が梅雨入りしたとみられる」とのこと、まだ入っていなかったようです。最近、特許関連の資料を見ているのですが、独特の言い回し、以前の特許文書からすると「読みやすくなった」とは、とは言うものの、多くの意味を待たせるような文書の書き方はちょっと真似が出来ません、もっとも弁理士以外真似をする必要もないのですが。
「梅雨入宣言」の5文字で~とみられる、など外れた時の言い訳でもないのでしょうが、なんとも含みを待たせる表現になってどのくらいになりますか。

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天候に左右される事業者は、まさに天に任せるより仕方のない天気の不都合を、特に予想が外れた場合は気象庁のせいにしてしまう傾向があって、気象衛星の時代になっても「曖昧かつ言い訳の余地」を残した気象庁の発表が、何とも人間味を感じます。

以前、コンビニのオーナーをしていた友人がいて、弁当の仕入れは天気次第なので、天気予報と勘を頼りに「発注」すると言うことでした。今はどうかわかりませんが、当時は地区の運動会・祭礼などは、如何に本部のデータであろうとそのようなものまでは反映されないので発注者たるオーナーの「勘」頼みだったようです。

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近所で建設中の建物、「新しいコンビニ」といううわさは聞いていましたが、外壁の色が見えると「あそこか」と言うことが分かります。
先に書いたコンビニのオーナーは、もう相当前に廃業していて居酒屋経営を経て昨年鬼籍に入りましたが、現在住居から1番近いコンビニ2番めに近いコンビニともオーナーが知り合い。そこから、ほど近い場所に同じ看板のコンビニが出来ます。

地元の人か、どこかのオーナーの何店舗目か、皆目わかりませんが「過当競争」になりそうです。本部にしてみれば綿密なシュミレーションと住民、通行車両との動態予想を経ての出店なのでしょうが、既存フランチャイジー(加盟店)の方は心中穏やかではないでしょう。この梅雨が明けるころこのスポットでも苛烈な競争が始まります。

共同研究
前回は経済経営学の分野で福島大学の研究者と意見交換、今回は化学分析を依頼している山形大学に出張。先にも山形大学工学部本館として重要文化財の建造物を紹介しましたが、クレームが入り本館ではなく旧本館。

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もっと正式に言うと「旧米沢高等工業専門学校本館」のようです。

いつも入る正面ゲートの横に位置し、学内に入って研究等に向かうには旧本館の裏の通路になり、欅の街路樹もあり、改めて正面から見ることもありませんでした。

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横か裏から垣間見るだけで、板の横貼りにペイント仕上げの建造物を「アーリーアメリカン風」と書きましたがルネサンス様式とのこと。たしかに正面に回ってよく見ると西欧の教会風。先日東京でたまたまお目に掛った軽井沢教会の牧師さんから「プロテスタントで言うサタンの誘惑」などと言う、何とも意味深なたとえ話を聞いたのですが、西欧からからり離れた極東に日本人にはカトリックもプロテスタントも東方正教も、厳密な様式の違いなど分かりませんので、下手に「教会風」などの表現も墓穴を掘るだけかもしれませんが。

米沢は豪雪地帯の盆地にして城下町、福島県の会津若松との類似性が指摘されます。方や山形南部置賜地方と福島西部会津地方の中核都市、人口も会津若松がやや多いのですが10万人前後。ともに知人も多いのですがなんとなく気質は異なります。
頑固一徹の会津人に対して米沢は少し物腰が柔らかか。原発事故現場から100キロも離れていながら、未だその影響を脱しきれない会津地方、将来的にその差異も住民気質に反映されてくるでしょう。
考えてみれば、ここにあった米沢藩上杉家は会津若松から移ってきたのですが。歴史の巡り会わせです。

野菜の経済学
先週、スマートコミュニティの展示会で、植物工場など「先端的な農業」と言われるものを見てきました。施設実物ではなくコンベンションでの展示、事業者・推進行政機関・実践者のプレゼンですが。
「意図は分かるがこれだけのコスト回収は?」と思いながら見てきた翌週は、地元で露地きゅうりの圃場へ。

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LEDを使うと従来の蛍光灯より品質は向上してエネルギーコストは下がる、という最新植物工場のふれ込み。しかし、考えてみれば(考えなくともわかるのですが)太陽光は無料。
上記の写真で言えば、支柱のパイプは毎年使い返しできるので、一度の使い捨ては張られたネットと雑草防止のための黒マルチ(根元の黒ビニール)。稲わらは水田からのいわば廃棄物の再利用、しかも収穫終了後は土にうない込んで「土壌改良」。

米国議会上院では「大統領貿易促進権限(TPA)法案の継続審議を打ち切り採決へ」。つまり大統領への一任が決まりそうでTPPに一気に進む気配です。
となると、日本でもますます従来型の農業からの脱却を図らねばならないのですが、道を誤ると「借金漬」「補助金頼み」の従来の日本農業の悪習の継続にもなりかねません。

「従来型の農業の良さを残しつつ大胆なイノベーションも必要」実に難しいかじ取りが求められます。
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そのような話を大学の研究者としてきました。通りがかりに大学があるのも何かと便利、超有名私大のビジネス・スクールにはないタイムリーさがあります。この辺の意見交換と依頼したデータの集積は後日レポートにまとめます。


野菜の科学分析
前のブログで野菜の生命力を書きました。ビニールハウスで病気が蔓延するなかでも生まれる新しい葉の伸長、未だ淡い緑は神秘的な生命力の象徴です。病気や悪習が広がることを「まんえんといい、そう書いて変換したところ「蔓延」とでました。

まさに蔓が延びて一帯を占拠するような状態も、見事に言い表していますが、野菜のカボチャやきゅうり、西瓜の蔓が畑を占拠する状態でもあり蔓科の雑草が管理を怠った畑を覆う状態にも見れます。

さて、その畑と野菜を科学的に管理する課題。先週末は学会で上京あわせてスマートコミニティの展示会にも足を延ばしました。
スマートコミュニティの農業分野は植物工場が花盛り。こんなにコストをかけてどうする!との思いもなくはありませんが、コストをかけてもらわないと周辺産業は儲かりません。このような会場で安からぬ経費でブースを設置するのは周辺産業「カモ」はいたかどうか。

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大学との共同研究で見慣れた器材が置いてあったので聞くと「味の差別化」、植物工場の野菜の味を分析するサービスの紹介、植物工場も林立すると生産物の付加価値の勝負になります。それ以前に、出口戦略を考えないで設備投資することに「金持ちはいいな」とおもったり「助成金の恐ろしさ」を感じたり。

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ともあれ、味覚は主観、「美味いも不味いも本人次第」というところからは進歩しているようです。
計測データをパソコンで記録するようです、五感が分かると言うことでしたが甘味は設定できないとのことでした。新しい時代がそこまで来ています。
野菜の生命力
冬に植え付けし、春から初夏まで収穫を続けてきた温室の「春きゅうり」もそろそろ終わりです。同じ春きゅうりでも春彼岸過ぎに定植した無加温もの、そして霜の心配がなくなってから外の畑に定植した露地ものも出回る時期になりました。

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2月初旬、厳冬の中定植していたのを思い出されますが、4ヶ月以上を経てきゅうりの株も老化し、外気温が上がり梅雨の時期の多湿が続くと「うどんこ病」といわれる葉の病気が広がります。減農薬につきある程度の被害はあきらめ、それでも根や他の肥培管理等をしっかりしていると若い元気の良い葉が出てきます。

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被害にあった葉は、取り除き若い葉での光合成を進めます。小指のような実がなり、先端に黄色い花を咲かせ実が肥大してきゅうりになります。肥大の途中で「変形」したものはその時にやはり取り除きます、変形していても必要とする養分は一緒なので、早く取り除いて健全な実にに養分が行くようにします。
それでも見つけ残しで大きく曲がるなどの変形きゅうりが出ることがあります。よく消費者の方に曲りでも味は同じなので、曲がったきゅうりを安く頂戴!と言われますが、好きで曲げているわけではなく、見つけ残しのごく少量、しかも曲りでも真っすぐでも送料は一緒。曲りを安くと言われても正直困るところではあります。
荒れた果樹園
先日は福島・米沢間の道路工事を紹介しましたが、こちらは東側相馬・福島間。そもそも経済性から着工は遅れていたのですが、東日本大震災による復興事業として、露骨に言えば中間貯蔵施設へのアクセス道路として、周辺住民も驚くほどの急ピッチぶり。

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昨日まで、大震災からの復興をテーマにした「日本情報経営学会」に参加、場所は浦安の明海大学。埋立地らしくきれいに整理された道路のように見えますが、ここも大震災の液状化の被害が甚大でいまだに復旧工事中とのこと。こちらはこちらなりに、問題もあるようです。
いくつかの発表にも福島の放射能災害に触れたテーマもありましたが、被災地の感覚からすると「ちょっと食い足りない」が、客観的なデータの羅列では説明できない「心の問題」が付きまといます。

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トンネルからトンネルの間は高架、橋脚工事もそびえたつビルのようです。中間貯蔵施設への搬入を終えたら「幽霊道路」のようにならないことを祈るのみですが。

ちょっと悪い予感が過ぎるのは工事の現場の下の果樹園。手入れを止めて何年か?荒れ放題の果樹園も見受けられます。

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震災以前は、この近くのビニールハウスに首都圏の専門店のバイヤーをお連れして野菜の管理状況を見てもらっていました。周囲の果樹園もよく整備されていて、桃やリンゴの花が咲いていて前を清流が流れると言うロケーションに、日々事業本部から「実績」「数字」で責められるバイヤー各氏も「癒される」「落ち着く」と口をそろえる場所でした。
土木予算をつぎ込めば「復旧」「復興」できる意味合いではないところが、何とも悩ましいところです。

水田の表情
田んぼにも個性や表情があります。田植えから約1か月、風で水田にさざ波が立つと、水の中に消え入りそうだった苗もずいぶん力強くなりました。
そしてその育ち方にも個性があります。

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こちらの稲は葉の色も濃く一見順調そうです。専門用語では「初期生育が良い」「分けつが取れてる」などと言います。全面的に悪い出来とは言いませんが、人間で言えばやや肥満気味と言ったところでしょうか、時期からすると「小児肥満」。

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こちらの水田は先のところから見ると、なんとなく頼りなげに見えますが健康的な育ち方です。今の時期はこれくらいの育ちで十分これからのひと月か一か月半で見違えるように伸長します。何より病害虫に強い育ち方です。隣の稲が繁茂しているとつい肥料を与えたくなるのですが、稲の生育にもステージのようなものがあって、あと一か月は我慢。もちろん土に肥料が含まれていればですが。

初夏のころは後れを取っても、盛夏過ぎから驚くほど生育がよくなる「秋勝り」が上手な稲作の秘訣。稲作だけにとどまらない「勝ち方のセオリー」のようのもの、最初から飛ばさず力をつけて後半勢いに乗る。ところがこのところの農業事情、「上手な稲作」の元気がありません。
枝垂れ桑
結構足を運んでいる隣接自治体の「町役場」。デラックスな庁舎が増えた中で木造の2階建てですが、庁舎前のロータリー、と言うか駐車場の庭と言うか、気にしてみれば枝垂れ桑でした。

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今は果樹地帯ですが、古くから養蚕が主力産業。大型の製糸工場もあった「縁」なのでしょうが、シンボル的に「桑の木」。
現在ならば「桃の木」でも植えたらよさそうなのですが、「枝垂れ桃」と言うのは聞いたことがないので庭木感覚ならばやはり桑がいいのか。

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枝垂れ桑にも、桑子もついていました。種子にあたる部分なのでついていて当然なのですが、このように観賞用に1本だけある木にもしっかり着くあたり、植物の生命力を感じます。
元々絹の原料を作る「蚕」の飼料用だった植物。一説によると、桑の生命力、栽培と管理のし易さから、「蚕の方を桑を食べて育つように品種改良してきた」と言うことです。もちろん真偽のほどは私ではわかりませんが。

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こうして見ると、桑の葉も同じ緑でも、陰影や光沢があり美しいものです。そして挿木でも殖える生命力、一度根が張るとそうは枯れません。レトロな建物の前に立つ木を見ると、何か明治からの国力増大の時代を思い出させるようです。もっともその先には無謀な戦争の突入があったわけですが。


支援のミスマッチ
たまに通る場所に、「絆」と書かれた避難者のサロンがあります。元はラーメン屋、居ぬきで富岡町の避難者が集うサロンになったようです。このへんに富岡からの仮設住宅があるとも聞かないのですが、何せ非常事態、散り散りに逃げた避難者が、また任意の1か所に戻り仮設で暮らすなど至難の業、「落ち延びた先々で独自のコミュニティ」と言うことになります。

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町の予算でサロンの設置したのか、東電の支援なのか、環境省・復興庁の事業なのか。まさか「有志の寄付に因り」と言うことはないでしょうが。ところが利用を見ることはほとんどありません、秘密結社のように隠れて集うこともなさそうなので。

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一方、避難者はと何の関係もありませんが水田で雑草を取る女性。米の値段が低迷して「水田の耕作放棄」が続き、栽培の大型化に進まざるを得ない(それで解決できる単純な構図でもないのですが)現在の稲作。
田に入って手で草を取るなど、生産性や合理化の観点からは「ありえない」作業になるわけですが「自分で食べるものは自分で手に掛ける」というのは、非常に分かりやすく精神状態にもよい仕事です。

避難者の全員が、とは言いませんが「故郷に戻って」田や畑で食べる分の野菜やコメを作る。今までものような生活をしてきた人々にとってそれが最も落ち着く暮らしなのでしょう。サロンを作った、慰謝料を払ったで済む問題ではなさそうな気がします。
観光農園
そろそろ、さくらんぼも最盛期に入ります。写真のさくらんぼに青いフィルターがかかるのは、ハウスに掛かる青い網の外から写すからで、鳥避けあるいわ盗難避けの意味もあるかも知れません。

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果樹全般に言えるのですが、見ていてきれいな農産物です。主力の果樹としては前年晩秋のりんご「ふじ」以来の果実、半年ぶり、というのがまた「きれい」に見える所以かもしれません。

福島県内、特に福島市や伊達市に立地する「さくらんぼ園」は市場出荷と言うよりは、観光果樹園や直売の比率が高くなります。むろん主力産地の山形県も多くの観光果樹園がありますが、さくらんぼ生産量と言う「分母」が違うので比較になりません。

放射能災害以来、観光果樹園は「農業」か「サービス業」かで議論になりました。農業で市場出荷した場合は放射線量が基準値以下の場合は、買いたたかれても価値はゼロにはなりません。基準値を超えた場合はそもそも売れないので価値はゼロ+廃棄費用と言うことになります。観光果樹園の場合は来客がないと売り上げゼロでだからと言って固定費が減るわけではありません。シビアな事を言えばサクランボ狩りをしたい例えば首都圏からの観光客は、山形のサクランボ園に行けば良い訳で、本当に困るのは福島県の観光果樹園と関連する業種(レンタカー、付近の外食など)。

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観光農園を開業している方々の話では、東京電力は「被害にあわれた皆様の実情に寄り添い」という建前は言うものの、被害の実態を理解しようともしないと怒っていました。聞くところによると、補償相談室(だいたい「賠償」といわず「補償」と言うのが姑息との言っていましたが)に行くと、書類様式の記入説明だけ「被害の実態は東京で判断します」と言うことです。生産・販売・サービスと入り組んだ被害実態が東京で分かれば「千里眼」と言っていた通り、現地の実情から見れば荒唐無稽の「判断」を下してくるそうで、福島の観光客は戻りつつあることを理由に観光果樹園の売り上げの低下を気象要因など別な要因にすり替えるのだそうです。
このところの好天に助けられて、さくらんぼは順調・豊作、また観光果樹園と「千里眼」との押し問答は続く様です。もっとも別の観光果樹園に聞くともっと怒っていました、「売上を別会社に付け替えて売り上げ減少を装っているのではないですが」と言われ、これには怒りの震えが止まらなかったそうです。



復興の光と影
国道13号線と言う、10番台の前半。まずは一級国道、福島市から山形・秋田2つの県庁所在地を経て青森県に至る道路。大動脈とは言わないまでも、日本海側の重要な道路です。

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その13号線の遥か頭上を高規格道が建設中。もともと、相馬から福島経由で米沢に抜ける道路で建設計画。相馬・福島間は利用台数の点で計画が遅れていましたが、大震災の後の復興需要、意地の悪い言い方をすれば「除染廃棄物の仮置き場からの搬出需要」があって、いきなり早期開通の号令がかかりました。

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それに合せたのか、従前の計画通りか知りませんが、米沢・福島間も建設が進んでいます。相馬と福島の間も山間地ですが、そちらの阿武隈山地に対して福島と米沢間は奥羽山脈、山の深さ険しさ、冬期間の降雪量も相当違います。高架とトンネルが続き矢を射るように直線道路が山肌を貫く様です。時に左右上下に見える工事中の新道を見ながら13号線を行くと、冬は怖そうだ、時間は相当短縮できる、と思えてそれなりに開通が楽しみではあります。
高架や高い位置でのトンネルも多いため「作業用の仮橋」も相当な規模、鉄骨の構造物も空に伸びます。

ところが13号線、県境の峠を件市内に入ると、そこには相変わらずの仮設住宅。

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プレハブの「長屋」の端に老婆が二人。望郷か生活疲れか、慰謝料が一人幾らと週刊詩は書きますが生易しくない現実もあります。


じゃがいもの花 2
一説によると、アンデス原産のジャガイモがスペインに渡り、東南アジア経由で日本に来たころは花の「観賞用」だったと言います。
もちろん桜とさくらんぼのように、食用に特化された品種になってからも、同じような花だったかと言うと別になりますが、いまの時期ジャガイモ畑に一面の花が咲くと一面が白く見えます。

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近くで見ると、純白ではなくやや紫掛かります。植えて当面の間は雨に少ない天候でしたが、このところ適当なお湿りがあります。不思議なもので、自治体などが「渇水対策会議」などを行うと、雨が降るという現象です。もっとも渇水会議と言っても、どこそこのダムの水位が何センチ下がったの下がらないのとという報告会で、農家には適切な農作物管理徹底させる、といった抽象的なものです。
そんなニュースが流れるたびに、農家の方からも雨の降らないときの「適切な管理」はどういう意味だとかのツッコミが入り、「会議のための会議」と揶揄されるところです。渇水対策会議の日程が決まっていたので降雨の後も会議を実施した、などと言う話にもなります。今回の少雨はそれほど深刻な影響はありませんでしたが、深刻なときには、そんな暇があったらで「雨乞いでもしろよ」と言う話になってきます。

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とりあえす「渇水対策会議」のおかげで、雨も降ってじゃがいもの生育も順調モード、梅雨の上りを待って順次「収穫」が始まります。
じゃがいもの生産をお願いしていた、南相馬市小高区金房地区の農家さん収穫と初出荷は「相馬野馬追い」の頃でした。野馬追は復活しましたが、小高区はまだ人が戻れません。

じゃがいもの花
じゃがいもの花が、いま満開。色い花が咲きます、3月末から4月中下旬に種芋を植えます。種芋はほぼ北海道産、種芋代のコスト削減のため、前年収穫した芋を植えることもありますが、生育・収量とも落ちてしまいます。

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雑草対策を兼ねた土寄せ、種芋を植えた列=畝(うね)事に土を集めます。畑に高低がつくと間もなくくる梅雨の季節でも雨水の浸透が良くなります。以前はじゃがいもと言うと「男爵」「メークイン」と言う品種が主だったのですが、現在は多種多様。ここの圃場でも「インカのめざめ」なる、紫のいもを栽培していました。元々じゃがいもはトウモロコシ同様アメリカ大陸原産なので、インカでもアンデスでもそんななめがついていても不思議はないのですが。

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久方ぶりの雨にあって、ブロッコリーも元気を取り戻したようです。虫食いの葉で周囲の雑草も伸び初めました、野菜にとっての恵みの雨は、雑草にも恵みの雨です。なんとなく「情けなげ」に見えるブロッコリーですが梅雨明け頃には結構たくましく仕上がります。ブロッコリーとして食べる部分は「花」、栽培中に多少葉に虫がついても大丈夫です。
小松菜同様「アブラナ科」蕪などもアブラナ科です、根コブがつきやすいアブラナ科ですが、堆肥の品質が高ければ(=完熟ならば)含まれる微生物の影響もあって根コブの発生も抑制するようです。

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搬入されていた「堆肥」も確認しました。この熟度なら大丈夫、夏野菜に続く秋野菜も楽しみです。
藩侯と鉢合せ
共同研究をしている山形大学工学部の本館は明治期の建設、風格のある建物です。

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以前、取引先のある東京の築地に行った際地下鉄の築地から地上に上がると、やはり風格のある建造物に驚きました。教会かと思って看板を見ると「築地本願寺」。しかしお寺とは思いない異国の建築様式、何だこれはと調べて見ると「仏教発祥の地古代インドの建築様式を模したもので関東大震災後再建された」とあります。法隆寺など奈良の寺院が古いと言っても、釈迦の入滅から1000年以上過ぎて日本に伝来したもので、インドの寺院風と言われれば日本人の常識から見れば異様な寺でも、何か有難味が増してきます。


この工学部本館が、どの国の建造物を模してい何時の時代に立ったのかわかりませんが、おそらく文明開化の時代に西洋の建築家が手がけたものと思われる。程度の感想だけは付け加えたいと思います。板の横貼りにペンキ仕上げですが「アーリーアメリカン風」というには屋根がシンプルに見えて相当凝った造りです。

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その大学からそうと遠からぬ場所に米沢城址があります。大学からの帰りにトイレを借りに施設の駐車場に入ると大手門を横から見る場所、何年か前の「天地人」の後半の舞台になりました。最近、かぶき者前田慶治もドラマになり、前田と言うから加賀藩かと思えば米沢藩が舞台、大河ドラマのご利益も薄れがちで風評被害がまだ深刻な福島県会津から見れば、なんともうらやましい話です。

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トイレから戻って帰路に向かおうとすると、馬上ならぬワゴン車から降りったったお殿様。米沢にはさらに人気の殿様「上杉鷹山公」もいますが、鷹山公は江戸中期の人。甲冑姿だとやはり上杉景勝公か、よく確かめるいとまもなく仕事場に急ぐお殿様一行でした。

秘密基地か
双葉郡富岡町にある民間の産廃施設を国が買い取って、比較的高濃度の汚染物質の保管・管理に使用かという案が浮上したとのことです。原発事故によって操業をしていない処分場なので、そのまま民間委託で稼働と言うのが環境省の原案でしたが、地元から国で管理すべきだと言う意見が出て国が取得に踏み切ったようです。

環境省も中間貯蔵施設の固定化につながるので、用地は国が取得でなく借り入れにしろと言うこともあります。借りろと言われたり買えと言われたりなかなか大変です、もともと原発事故現場の事故処理も含めて国家管理で進めるような話なのでしかも最終処分場は県外とも明言している現状から、この二律背反するよう現象も「お互いもっとも」で、実質破たんしている民間企業である東京電力(株)をむりくり延命させているのが元凶なのでしょうが。関東地方への継続した電力供給をふくめて、これが一番安い事故処理コスト言うことののでしょうが「安物買いの銭失い」にならないことを願いばかりです。

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ちょっと郊外に出ると、渦中の中間貯蔵施設に持ち込む前の「仮置き場」か「仮仮置き場」か、除染廃棄物がひっそりと置かれています。宅地の場合は「地下埋設で仮置き」が多いので、多分道路、河川敷からの排出物なのでしょう。几帳面な日本人の仕事らしく、放射線管理も行われているようですが、何せ目に見えない「放射線」なので時折手を抜く業者も現れます。

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松林の中に「秘密基地か」と思うような保管も現れます、ブルーシートより銀の遮蔽シートの方が線量が高いのかと言うとそうでもなさそうですが、いずれにしても仰々しくなります。
雨が降りません
九州は梅雨入り、移動性の低気圧で全国的な雨でしたが、東北南部太平洋側は雨雲が素通りしました。
梅雨入り真近とは言えこのとろ雨が少ない天候です、まだ干ばつ被害と言うところではありません、やがて梅雨が解消してくれるでしょう。

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今の時期、雨が降ったで病害虫の発生が気になり、果実の劣化を心配し、晴れたら晴れたでまた果実の玉の張りを懸念する。何とも因果なのが果樹農家、多くは桃、りんご等と多品目を栽培して、労働力とリスクの分散を図っていますが基本的に果樹になる「実」は年1度、否が応にもその出来が気になります。

晴天で日差しが夏のようで、摘果作業中の休憩中木陰で涼んでいた農家との人と「情報交換」。先般ここのJAで大学から農業経済の研究者を招いての講演会があったとのこと、何度も書きますがこの辺り福島北部の果樹農家は優秀な農家ほどJAに出荷しません。①個人的にお客さんがついている②ブランド農産物として販路がある、そして残った分を③JAの共販(共同販売)。

4年前の原発事故で①②が壊滅的な損害を被りました。③があるものの、これとて風評の影響がない訳ではなく、共選場や青果市場を介する共販は、コストがかさむうえ需給量で価格が決まるので経営的には不安定です。

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講演の先生の話によると、農産物の検査体制のことは「消費者は知らない」。「政府」「東電」の発表は国民(消費者)は信用していない、これでは生産地情報が消費者に伝わらないのも当然、というより伝える術がありません。この大学の先生、個人的にも知り合いなのですが、左翼系ではなく体制維持派。言い方を変えればJA主導の農政を進めるのを支持している研究者、このタイプがここまで福島の農産物の販売状況を悲観するのはやはり相当なこと。順調な天候でも農家や関係者の「気」は、とても休まりません。


証文の出し遅れ 2
原発事故4年をを経過して、除染のピッチが上がってきた感があります。
道路除染については何度か書きましたが、公園やショッピングセンターなど人の集まる場所の除染が行われています。4年経過しても「新技術」と言うよりは、人力機械力による「表面剥がし」なのですが。

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これも以前も書いた通り、4年前とは言わないものの、せめて3年前にしてもらいたかった作業です。かき集められた表土や廃棄物はフレコンバックで保管され何かと燻ぶっている「中間貯蔵施設」に搬入され、少なくとも向こう20年は「一件落着」になるのでしょうか。
先送りの先の混乱が目に見えるようです。

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科学技術の発展に後を託す、と言えば聞こえはいいのですが、「先送り」「縦割り」「首のすげ替え」「看板の取り替え」、日本の悪い風習言い換えれば、ある種都合のいい習慣が、原子力災害の「非常事態」でも残っていました。もっとも「悪い風習によって乗り越えたと言えなくもないのですが。

一部専門家によると、溶融した核燃料の取り出しなど向こう数10年の科学技術では無理、チェリノブイリのようにコンクリートて固める石棺しかないとも言われます。福島の太平洋岸には原子力産業の失敗を示す墓標が立つわけです。ゾッとしまいますが、これとて責任を取るような組織・機関が見当たりません。
福島盆地
福島盆地は今日も晴れ、夏の陽気が続いています。東北南部に関わらず全国的にだそうですが。
新緑と言うより深緑になった「奥羽山脈」、噴火警戒が出ている吾妻山の方角です。昨年の御嶽山の噴火、蔵王の警戒レベルの後はこちらの吾妻山、そして箱根の大涌谷に今回の口永良部、何か自然のサイクルが変わっているようですが人類は、その自然の営みにはまだ「逃げるくらいしか」成す術がありません。

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まだ「成す術がある」国会論議の方ですが、「中東、インド洋」の武力衝突と具体的な自衛隊派遣の具体的な地名が出てきました。「リスクは増加しない」と言っても武装して紛争地域に行くわけで、危なくないわけはなく、行ったはいいが後方で高みの見物では、かえって国際的な信用を損ねるような気がします。
総理は有事の際のシーレーン、エネルギーの供給路を念頭に置いているのでしょうが、多くの識者が言うように「どうもわかり難い」議論になっています。
挑発上手とは言いながら、さして大物政治家ともいえない辻元議員に「早く質問しろよ」とやじを飛ばし、結局陳謝をした一国の総理の、なんとなくの「軽量感」が気になります。

もっとも先般の国会で目にした質問議員にも驚きました。太田和美氏(維新)、民主党の追い風選挙でパラシュートで福島2区に降り立って[福島にお嫁に来ました」と言いつつ議席をゲット。次なる逆風選挙であえなく落選、かつての地盤千葉に出戻ったと言う話は聞きましたが、維新の副幹事長の肩書で国会質問。「世渡り上手」と言うのはあまりに失礼か、ただ浪速のエリカ様のようにならないようにと願いばかりです。
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福島盆地の真ん中に居る小高い山が「信夫山」、信夫三山が祀られ信仰の対象でもあります。かつてこの盆地が湖沼がったころは「島」だったそうです。
この山の地下には、戦闘機の工場を作りかけていましたが終戦で跡が残るのみ。奥州道と羽州道の分岐で阿武隈水運の舟着場もあったものの東北の中心は仙台に取られました。
挙句に原発事故、なぜか福島の原発は「泊」「刈谷・柏崎」「川内」など地域の地名を用いず県名に絡む「福島第一」「福島第二」。どうにもこうにも世渡りが下手な福島です。