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ある意味「東電」は凄い
福島県内にいても、除染費用の流れなど何度聞いても分からないのですが、ざっと言うと避難区域が国直轄、それ以外の除染活動の必要な地域は市町村で除染活動をしているようです。

今日の新聞によると、除染の発注や管理は国や自治体が行うものの、費用は一括して国(環境省)がまとめて東電に請求すると言うもの。ところが、その請求のうち国直轄は東電が支払いに応じているものの、市町村分は除染作業の妥当性を精査中のためと言う理由でほとんど(環境省請求の2%)支払われていないと言うことだそうです。いずれも国通しての請求のため、除染費用は国が立て替えているます、実質作業は進行していて、直接・間接の除染を管理している国は支払は発生しようがあるはずの東電からの入金がないという状態、仮にも環境省と言う国の機関にここまで露骨に(裁判をするでもなく)支払いを拒むなど、通常民間企業は絶対やれないことで、逆にアッパレとも言えます。しかも東電は今期も黒字見通して「無い袖は振れない」ではありません。

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福島市から西の吾妻山を撮ろうとしたときに、角度やポジションによって麓に「白い塀」が見えます。まずはアングルに入れようとは思いませんが。文字通りここは塀で、近くに行くと出所者に対する、出迎え上の注意書きなどの掲示板があります。多分、ある階層の出所者がいると黒い車が迎えに来て「ご苦労様でした」と乗り込むのでしょう。

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殺意はなくとも、車の運転中に誤って死亡事故を起こした時には「業務上過失致死傷」で塀の向こうに行かなければならないこともあります。原発の事故は大震災が引き金で、東電も故意に事故を起こしたわけではありませんが、事故の備えが不十分であった指摘は当を得ており、その後の社会的な混乱を考えれば事故関係者が「塀の向こう」に行ってないの事に奇異な印象があります。

しかも国の請求を仔細を検証と言いながら、端的に言えば踏み倒しているわけで、民間からの請求など端から眼中にないのかもしてません、損害賠償請求など言を左右にして支払わない方針のようです。環境省より強い官庁が後ろ盾にいるのか、とにかく不思議な会社です。
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関東から戻りました
昨夜関東から戻りました。東北道から首都高、そして中央道の往復です。

都心は桜がそろそろ見頃とのこと、郊外は桜の綻び始めですが、もう4月前から5月の陽気、今日あたりは一気に開花のことでしょう。
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戻れば福島の桜はまだつぼみ、ずいぶん赤味は増したものの「開花直前」とはいきません。逆に小学校の入学式辺りが開花か、原発事故の頃は2歳児、子供は何も知らなくともどの親もノイローゼになりそうな環境で子育てした子供たちです。
これからも元気で育ちますようにと、桜も応援です。

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東北道からも中央道からも富士山が見えました、まだ雪に覆うわれた白い富士山です。わが吾妻小富士は先日より「うさぎ」型がくっきりしてきました。もう少しでうさぎの顔がそれらしくなります、月面のうさぎの餅つきと同じで「見ようによっては」との注釈は着きますが。

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吾妻山麓から流れ出る河川も、春の色に変わってきました。ここの少し下流には両岸に桜並木があります、散る花びらが水面に落ちて流れて行く「花筏」ももう少しです。もっともその頃には寒の戻りもあって「花冷え」のなか景色を楽し物も通例なのですが。
紅梅
久方ぶりに暖かさが戻ってきました。東京からは桜の便りですが、みちのく福島は「まだ梅」。街で見かけた紅梅が満開です。

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こちらは桜の満開まではあと2週間はかかります。よく、東北に入ることを「白河の関を越える」といいますが、福島の桜前線は、浜通りを北上し、逆に中通を南下します。会津の桜はさらにあとGW近くになります。従がって中通で一番桜が遅いのは白河あたり。新幹線の車窓ではなかなか桜を楽しめませんが、在来線で北上すると白河が3分咲きでも郡山が8分咲き福島が満開と言う風景に出くわします。
もっともそれは平地での話、福島と相馬を結ぶ通称中村街道(国道115)で、「伊達と相馬の境の桜」と言われる地帯は開花時期が弘前の桜と変わらない時期。いくら高冷地でもそこまでは寒くないとは思うのですが、気象の怪と言うことでしょう。

街中の赤と言えば、新幹線はほぼ高架を通りますが在来線は街中を通ります。貨物列車を引く真っ赤な電気機関車がコンテナ車両を引いて通りがかります。東北線は線路は地べたでも道路の方がガード下や跨線橋を通るので、さすがに街中では踏切はありませんが(福島駅から分岐する奥羽線は踏切があります)、道路と並行して走る鉄道は風景にアクセントが付きます。
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排ガスを佐だない電車は、クリーンと称されてきましたが、電気のクりーンには「裏」があったと思い知らされている福島です。

三寒四温
4日暖かい日が続いたと思ったら3日寒い日が続く、三寒四温とはよく言ったもので彼岸を過ぎて突然寒くなりました。加えてみぞれ、さすがに積雪はありませんが相当数夏タイヤへの交換も済んでいるので、突然の雪には驚かされます。

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りんご畑のふくらみかけた蕾にもみぞれ雪が舞います。一足飛びに春にならないのが東北の春、昨日岡山から直行してきた知り合いに会ったら、満開の河津桜の写真を見せてもらいました。

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除染のモニタリングもなかなか大変そうで、積雪なら諦めるところですが防寒用のコートを着て作業継続の様子です。年末になっても日本株は好調のようで、円高は一服でもここにきて原油も再び下がり始め、ギリシャは何やらもめていますがこのところスペイン・イタリアにも波及という物騒な話も聞こえてこないので、ユーロ圏も小康状態と言うことでしょうか。

小康状態と言えないなが福島原発、会計検査院から廃炉費用の使い方で相当の無駄を出していることが指摘されました。会検うんぬん以前に、東電は巨大組織とは言え事故収束については民間企業の事業枠を超えており、国の管理で廃炉、賠償と一連の収束作業を行うべきで、東電は分割のうえ一部は解体と言うのが現実的だと思うのですが。
今後30年かけて賠償費用を返済とかと言っていますが、中間貯蔵施設と同じで30年と言うのは厳密な年月ではなくて「かなり先」という意味で理解していた方がよさそうです。
反面復興事業や賠償打切り素案は5年と言う刻みになってくるのが、なんとも理解に苦しむところです。
遠景の春 足もとの春
風には肌寒さは残るものの、日差しは春になりました。風の来ない陽だまりや風を遮るガラス越しは汗ばむほどです。

いつもおなじみ「吾妻小富士」福島市の西側、この南西方向に猪苗代湖そして会津盆地、北西に米沢盆地。


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吾妻小富士の写真向かって中央から右方向の斜面にうさぎ型が現れてきました。耳としっぽにあたる部分がなんとなく分かる程度で、胴体はうさぎよりまだ猪ですが、何れダイエットが進むはずです。

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足元では、アブラナの黄色い花が咲きかけです。これは、いわゆる菜の花ではなくてアブラナ科植物。蕪や小松菜などアブラナ科植物は茎が伸びて黄色い花を咲かせます、いわゆる董立ちといって野菜の栽培では失敗なのですが、植物生理上仕方のないこと、取り遅れ・食べ残しの菜園では春によく見かける現象です。

もっとも、4年前は原発事故の影響で多くの野菜が出荷停止になって収穫できなくなった畑が一面黄色の花で染まったこともあります。今や懐かしい思い出、ともいえないのが残念なところ「風評被害」を始めとするさまざまな影響が残る福島です。
古木
果樹園を見ると、若木の勢いというのも魅力ですが「古木」の貫録と言うのも見ることが出来ます。
古木と言っても、生産性が著しく落ちると果樹園経営にとって邪魔者でしかないので、若木より管理そのものは大変です。

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この梨の木からは、昨年育った新しい枝が天を突くように育っていました。ですからこの梨の古木は土壌が管理され、まだ根が健全に機能を果たしていることま見て取れます。古木と言っても古い枝には果実はならないので、旺盛に伸長する新芽を育てられる土台としての価値を求められます。

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りんごの古木、おそらく以前りんごの木の幹に「高接ぎ」といって新しい品種の枝を接いだのでしょう。植物は根や基幹は別でも、接いだ先の特性の品種の実がつくのでよく使われる技術です。よく知られる例では、きゅうりの相当数(自根栽培と言うのもあるので100%ではないのですが)は、蔓はきゅうりでも根はカボチャです。

この果樹園の園主は知り合いですが、たまたま墓参りとかで不在でしたが、おそらく聞くと土台の幹は爺さんの代とか親父の代に植えたとかいうのでしょう。

梨は9月以降、りんごは晩生の「ふじ」なので11月末の収穫になります。これから花が咲いて葉が茂り、盛夏を経て収穫の秋はまだ相当先です。
畑に来る春
冬野菜の名残、白菜がまだ立っています。董が立っていないので(花の咲く茎のこと)まだまだ食べられます。

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まわりの葉を剥けば、中心は程よく結球していてまだまだ柔らかく季節柄虫も入っていません。一冬越しても、ふかふかとした土壌が写真を通しても見て取れます。有機質が入り、よく管理された畑であることがわかります。

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じゃがいも等春に植栽する野菜畑の準備も始まりました。もう彼岸に入ったので、よほどのことがないと凍害の心配もなくなります。もっとも、最近は有害鳥獣が人家の近くまでやってくるので、リスクは気象要件だけではなくなっていますが。

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冬の間に整理した果樹の搬出も大変な仕事です。大きな枝や幹ごと伐採する場合はチェーンソーの仕事です。軽トラックとは言え樹木間までは入れないので「運搬車」の出番です。最近は農家とは言え「囲炉裏」「かまど」はさすがになくて給湯ボイラーも石油やガスの時代、このような伐採樹木は燃料としては使えないので、ていねいに果樹園を管理する農家は「木炭」にして土壌に戻します。少々専門的になりますが、木炭は「多孔質」つまり空気(酸素)や水分、養分を保持する、または微生物や小動物の棲家になるので果樹(に限らず農産品一般にですが)の健全な成長を促進します。

もうひとつ、果樹園の片づけを急ぐ理由は枝や幹が邪魔になると、スピード・スプレヤー(通称SS)が動けないこと。SSとは果樹園専用の農作の散布機ですが、「え、農薬」とあまり嫌がらないでください。春、葉や花の発芽前に散布する農薬は
石灰硫黄合剤や機械油乳剤、害虫を殺すと言うより卵からの孵化を抑制したり、窒息させたりするもの。これを怠ると初夏以降爆発的に害虫が増え、果物に直接農薬が掛かるようになります。抑制も減農薬の手法のひとつです。




春はまだ浅く
前回、梅の写真を紹介しましたが、さすがに桜はまだ先になります。暖冬だったのであと3週間か。

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寺の「桜」もほころぶ様子も見せませんが、なんとなく枝が赤みを帯びてきました。
さて、とんでもない嵐に見舞われたのが「東洋ゴム」最初に自分で買った車が(トヨタでしたが)TOYOZラジアルというタイヤを履いて納車され、今なら「どうせならBSが良いな」とかとかディラーに言いそうなものですが、当時はそこまで気が回らずZラジアルと言うネーミングがなんとなくブランドの雰囲気を醸し出していました。

その子会社が免震のデータねつ造でとんでもない窮地に追い込まれています。この免震ゴムを病院建設に使われた病院長が東洋ゴムの対応を「誠意のかけらもない」と非難しています。事後対応で避難ならぬ非難の大きさが違ってきます、東洋ゴムの方も言い分はあるのでしょうが「納期をせかされ止む無く」と言うのは、理由としては成立しません。東洋ゴムと言うブランド力があまり強くない(と思われる)企業の営業上の苦労でしょうか。それにしても代償が大きすぎます。

かつて身近にある鶏肉の会社が、食品偽装でとんでもない騒動を起こしたことがあります。噂では「取引メインの大手スーパー」に売れ筋のもも肉の供給を供用されてブラジル産の鶏肉で増量したというもの。もも肉がもも肉と言われても鳥には足が二本しかなく、ムネは要らないももだけと言われてもどうしようもありません。このスーパーの気質も何となくわかるため食品会社に同情は禁じ得ませんでしたが犯罪は犯罪です。

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福島市のシンボル「信夫山」雑木林に松が点在する山肌ですが、やはりなんとなく春めいては見えます。セシウムが舞い散って5度目の春です。さすがにこのようなところにはモニタリングポストは置きませんが、置いたら相当の相当の線量でしょう、何せ手付かずですから。全面的な山林除染の前に、まずここの除染をするべきものだと思います。東洋タイヤ以上に不誠実な態度を取り続ける東京電力ですが、ここに言ってもまず無理なので「環境省」の英断でしょうか。もっとも近隣の自治体では「除染費用を返した」と言うところもあるので、英断も下しようがないか、何とも春がまだ浅い福島です。

栗子峠を挟んで
共同研究をしている山形大学工学部は山形県米沢市にあります。福島市からは国道13号で1時間少々、栗子峠(実際通るのはトンネルですが)を挟んで福島から見れば反対側。
昨日はやはり共同研究先の福島大学の研究者と打ち合わせのために米沢へ。そして今日、秋田の乳頭温泉で事故のようでテレビに乳頭温泉の積雪が映りましたが、米沢も市内にはまだ相当の残雪。

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秋田の秘湯ならまだしも、雪のかけらもないみちのく福島の、国道で1時間先に積雪の世界があるのは驚きです。この気象上のどうしようもないハンデキャップが、上杉鷹山を始めとする「殖産工業」を生んで、高等工業専門学校から山形大学工学部に至る工業集積、工学研究や人材育成に進んできたのでしょうか。

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福島に戻ればこちらは梅。梅花を校章とする高校の玄関先の梅。こちらは先の震災で校舎が壊れたため一部仮設のまま。福島のハンデキャップは目には見えないものもありますが、負ったものを悔やむより、逆境に負けず先に進みましょう。

春本番か 3
三寒四温の時期になりました、四温も今日で三日目か。また冬に戻ったような日が2.3日続いて、その繰り返しでで本格的な春に至ります。
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来週からの春休みを前に、子供たちの行動も春めいてきました。登校時は寒くても下校の頃は相当暖かく、まだ冬のジャンパーが必要なものの昼は暑くて前を開けています。

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帰る姿も何となくのんびりと、寒さの中の急ぎ足とは異なります。この子たちの新入生の頃に原発事故が起きました、当人たちはともかく、親の心配はいかばかりだったでしょうか。当時メディアは福島で生まれた「耳のないウサギ」を取り上げます。事故直後に生まれたウサギなどに遺伝子異常など起きるはずもなく、たまたま生まれた異形の動物を、さも原発事故との関連がありそうに報じるため、住民の心労は重なります。
事故原因者の東京電力の、確信犯ともいえる情報発信の不備が心労や煽るような報道に輪をかけ、被災地の現在に至っています。
そのような四年間を見るにつけ、その中でも元気に育ってくれた子供たちを見ると、少々安堵の気持ちに浸ることが出来ます。


春本番か 2
風も止み、まさに春の陽気が来ました。墓地の掃除で見かけた「ふきのとう」食するには遅れた開きっぷり。あいにくカメラを持ち合わせていなかったので撮影できず。
午後からカメラを持って、土手や地面に春の姿を追いました。

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水田の土手と言うか畔と言うか、そのような場所で見つけた雑草は「オオイヌノフグリ」か?。ちょっと確信が持てないのは「オオイヌノフグリ」はもう少しピンクがかった印象があったので。
日本の代表的な「雑草」とされてきましたが、レットデータブックに載るほど減少しているとのこと(オオイヌノフグリだっつたらの話ですが)。除草剤の浸透や外来植物の増殖によって生態系が変化しているのでしょう。
「イヌノフグリ」という名称は牧野富太郎氏の命名されていますが、われわれ農学系の出身者には「後輩の女子」にこの名前を言わせるとこをよくしました。今なら「パワハラ」「セクハラ」で問題視されるところです。

地面で春の気配を探して、見上げると盆地の外輪の山の向こうに雪を頂いた蔵王の姿。
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そして、その遠景がやや霞のがやはり春の証拠。山形と宮城を跨ぐ蔵王が福島の北部から見ることが出来ます。
南西に目を転じると、やはり春の霞の向うに吾妻山が見えますが「雪うさぎ」はまだ輪郭も見えません。春が進むにつれて雪うさぎが現れ、そのうさぎ型の残雪が消える頃初夏の訪れになります。
原発事故から5年目の春、穏やかな陽気の先にはまで厳しい戦いが待っています。


春本番か
風っぽい日が続きます。12日は仙台でした、なんとなくあわただしい感じがすると思ったら今日から国際防災会議、日本で行われる国際会議としては過去最大級とのこと、東京はともかく、横浜でも大阪でもなく仙台と言うのが意味があるのでしょう。
以前横浜で国際会議とでくわし、通行規制で難渋した覚えがあります。今回の会議は参加者の数が多いものの、国家元首級が揃うようなことでもないので、その点では比較的規制が少なかったのかもしれませんが。

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墓地掃除の連絡が来ました、思えば来週は「彼岸」の入り。「暑さ寒さも彼岸まで」の季節になりました、果樹園、観光果樹園も準備を終え春の到来を待つ様です。今年は雪が少なく、外の農作業も進んだと言います。農業者の多くが個人事業者15日の申告期限と言うものの、今年は土日にあたり13日が期限。また外での作業に労働力が集中です。

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除染関係のトラックの往来も相変わらず多いのですが、「気にしても仕方がない」というのが一般的な住民の心理。4年前は3月11日だった中学区の卒業式も今年は13日に終えました。週が明ければ高校入試の結果発表、川崎の凄惨な事件は記憶に新しいところですが、被災地の窮屈な暮らしの中でも頑張って勉学に励んだ子供たちの行く末に期待したいと思います。



中間貯蔵施設搬入
大熊町に出来たというか、建設中の中間貯蔵施設(?)に汚染土の搬入が始まりました。施設用地の取得や建設については手順を踏まず強引に進めたとの指摘がありますが、いわば非常事態、成田の強制収容とは意味が違うような気がします。いわば戦時中の非常措置のようなもので、「先祖伝来の土地」「涙を呑んで」とは言える状態ではなく、ただ金銭だけでなく充分なケアで土地の提供者や近隣住民に配慮をお願いしたいものだと思います。「福島」第1原発に関わることなので近隣と言っても、影響は福島全県に及ぶことかもしれませんが。

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搬入が始まったとはいえ、遅れ遅れの除染もようやくピッチが上がってきたと見え、仮置き場も増えてきました。搬入量に対して搬出量の超過が当分続くでしょうから、これからも仮置き場の設置は不可になります。

仮置き場の設置も進まず、民家の庭に仮埋設しているような状態からは半歩前進ですが、その仮置き場も不気味な佇まいを見せています。

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放射線量の管理は行われている形跡はあるものの、そもそも「安全基準なるものを信用していない」という声も多くあり、これまでの方針の迷走や場当たり対応がより大きな不信感となって表れています。

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無機的な金属フェンスより「まし」と考えるのでしょうか、思いついたようにあちこちにペイントも施されますが、全く意味不明。蓮の花の絵に至っては「冥途の入り口か」と思ってしまいます。この鳥をあしらった未来へ〇〇の図柄とコピーも、活力や希望のメッセージは伝わってきません。行政か業者かは分かりませんが、もう少しセンスを期待したと思います。あんがい風評被害の払拭はこのようなところから始まるのかもしれません。


嵐のように・・・
今年も嵐のように3.11が去りました。この日とその前後は日本中が東日本大震災一辺倒になり、「鎮魂」の祈りの日になります。しかし、被害の爪痕はまだまだ残り、もう四年とまだ四年と言うという事実が交差します。

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いつも書くように、3.11は大震災の日、これに起因するとは言え「原子力災害」は3.12以降連続して起こった炉心融解とそれに伴う水蒸気爆発によって、連続的に起こった一連の事故とその後の処理の不合理性によってもひき起こった人災事故。
この二つを同時に語るので災害が一層複雑に見えます。

天災の方の東日本大震災は本当に痛ましく、特に4年の月日によって被災者が落ち着いて振り返ることによって、災害の生々しさが際立っています。続く余震と電気もなく水道の無い中で飛び散った食器や家財を片付けていました。
昔怪獣映画で見た映画で見た「ゴジラの通った後」のように電柱が左右に傾き、マンホールが隆起しているなか電気など来るのは何日後かわからないと覚悟して過ごしていたころ、津波によってやはり瓦礫のうえで漂流していた被災者もいたようです。

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ことしの3.11は朝夕雪が降りました。やはり、4年前瓦礫に積もった雪を思い出します。物理的な破壊も深刻ですが、放射能災害によるコミュニティの破壊、生活活動・営業活動の侵害も深刻です。
ステレオタイプのようなメディアの「震災特集」は見ないようにしているのですが、3.11のクローズアップ現代を少し垣間見ました。裏チャンネルの小久保ジャパンの不甲斐ない戦いぶりと、日本サッカーU22代表の「強化試合なら強化になるような相手を選べよ」とスポーツイベントが少々つまらないので、攻守の間に少し視た中で、世間の目を気にしながら暮らす避難者の声が寄せられていました。補償金によって豪華な暮らしをしているようにみられると言うものでした、福島は他の地方より、地元紙や自治体等の広報によって補償賠償情報が入りますが、どうも仕組みが複雑怪奇で、しかも加害企業東京電力が「3のお誓い」とやらで、紛争審査会の和解案尊重つまり第3者機関の裁定には従いますと言っていながら、和解案拒絶もおこなっており、浪江町の集団申し立ての和解案については申立人ではなく仲裁機関の「勧告」にも応じようとしないのは、客観的に見ていても「何の誓い」だ、と思うところがあります。払うべきものも払っていないと言われても仕方のないのが賠償の現状かと思われます(払う必要のないところにも払っているという指摘もありますが)。

もっとも、その東電の言い分も一理あるとこはあって、「個別の事情が異なる各戸で一律の慰謝料と言うのは本賠償には馴染まない」。しかし、各家庭の事業を精査、斟酌して慰謝料等を提示するような体制が東電にあるかと言うと全く別で、直近でも営業損害賠償では業種・業態・地域を問わず一律に打切り素案を出して、被災者の反発はむろんのこと、「根回し」及ばす監督官庁からもダメ出しされる失態でした。各被災家庭など「ご事情」など何を考えているのだと言う迷走ぶりです。
そこへまた、12日付け新聞の雑誌広告に某週刊誌が「原発保証金じゃぶじゃぶの日常的荒廃」の見出し広告。社会正義、現行法の不備を叫んで「未成年の実名報道」をおこなって、すくなくともその報道が誌面売上には貢献しているであろう週刊誌です。このような報道が、週刊誌の売り上げはともかく慰謝料を受けている被災者のみならず、被災地近くの住民に心理的なストレスを与えることは事実で、ある意味「笑い話」でもすませられた美味しんぼ騒動より深刻かもしれません。

3.11報道でも相変らず目を引くのは東電社長談話「多くの皆様にご心配とご迷惑をお掛けしております」という、心のこもらぬ枕詞はいつものこととして、「4号機の使用済み核燃料の搬出など完了し」など廃炉への収束作業が進んでいることを強調しますが、当時運転休止中で炉心損傷のない4号機に言及しても何の意味もないことは、多くの国民の知るところ。

敢えて強調することによって国民がますます疑心暗鬼になるのが「いわゆる風評被害」が収まることのが見えない元凶のひとつだと思うのですが。


3.11 直前 3
3月の雨は、降る度に春めきます。大相撲も始まり、この後選抜高校野球でも始まれば一気に春めきます。この後も雨予想ですが、午後には一旦やみました。

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昨年の豪雪から見て、拍子が抜けるほどの「少雪」だった今年の冬。農家は2月までは「未だある」と予測していましたが、もう直ぐ3月中旬、さすがに大雪はなさそうです。

お年寄りの、「よく晴れた暑い日だった」という昭和20年8月15日回顧ではないのですが、4年前の3.11も晴天でした。当日は公立中学校の卒業式でまさに春到来の天候でしたが午後の激しい揺れ。その後、春到来どころか地震・津波の瓦礫に雪が積もる天候が来ました。
震災後、比較的早く電気は通りましたが断水が続き、井戸水や給水車に行列が出来ました。何日かして上水道が復旧し「水が出た」と言うことになっても一向に通水せず。敷地内の断水でわずかな縁を頼って水道業者に来てもらい、庭を掘って水道管を繋ぎ直しました。それが3月の何日だったか、雪の中での作業でした。

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その後の放射能災害など思いもよらず、「やれやれと」一息ついたことを思い出します。

その後は、逆に「放射能災害」による緊迫状態が続き、現在に至ります。震災直後から当分の間、日本中から警察車両自衛隊車両がやって来てまさに非常時の戒厳状態。今日街でパトライトを回して走るパトカーを発見。警察官二人が忙しく現場に急行のようでした。「そういえばおびただしい数の緊急自動車が走っていた」ことを思い出しました。

新聞のアンケートによると、6割強の県民が「風評被害が続いている」と言う回答。逆に4割弱が「風評被害が少なくなった」と言う答えに方に驚かせられます。「少なくなったことにしたい」と言う潜在的な意識も働いていると見ています。





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今週末のテレビ等の報道・企画も3.11特集。丁度年度末にかかり、卒業シーズンと新年度の新たな生活に進もうとする時期なので、夏の「夏休み=旧盆=終戦記念日」と一緒で、季節の行事になってしまうのかもしれません「卒業シーズン=年度末=3.11」。

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風化被害とも言われ、爪痕が残っていりるのにも拘らず、災害が忘れられてしまうことも困るのですが、また「訳知り」のような自称専門家・にわか専門家・とって付けたような研究チームが現れて、本質からかなりずれた評論をされても困ります。

被災地の立場からすると、3.11で括られても「気象災害」である地震津波と、まぎれもない人災である「原発事故」は異なる災害であると言うこと。気象災害にしても「地震」「津波」「いずれかの事故対応」と細分化して考えることが、将来的な被害低減に向けての教訓になるのかもしれません。

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「原発事故」に至ってはもっと複雑で、直接の原因は3.11東日本大震災であったにしても、作り上げられた安全神話、困窮している立地地帯の囲いこみ戦術、稼働後頻発した(といわれる)トラブル隠しなどを総点検して各炉心熔解と水蒸気爆発・放射性物質飛散を現実に起きた.3.12・3.14と言うように分割しなければなりません。また、被害も健康被害・避難による損害(精神・経済)・事業損害・はては自主避難の妥当性等々膨大な点検と、国や東電への説明責任や補償の請求との復旧道筋などの点検があり、「汚染水の流出が報告されなかった」といった枝葉末節が問題の本質ではありません。

原発事故と言うと、反原発や反核まで一緒にされますがこれも冷静な対応が必要で、「原発が無いとどういうふうに困るのか」「ここ2年無くとも何とかなったではないか」「化石燃料の枯渇と二酸化炭素はどうするのか」まで丁寧に議論する必要があると思います。目先のコストの他に有事のコストという巨大なリスクも今回目にしたわけですので。

放射能災害はカバーする事項が膨大で、いつも何ともしまりのない文章になってしまいます。折々に加筆したいと思います。


3.11 直前
東日本大震災から丸4年経過しての3.11がもう直ぐ。昨年は3回目、今年は3回目に比べ少しは落ち着くかと思えば、やはり震災、原発事故関連の「特集」「報道」が目白押しです。

事故後には何度住民が要望し、検討・協議・実施と試行錯誤があった除染作業も、「丸4年経て本格化」と言われても仕方のないように「各地で実施中」です。

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当然住民としては、やってくれないより実施してもらった方が良いのですが、公共事業と同じように目的が「景気浮揚」など違う効果を期待しているのかと思うほど、被災地の実情らは離れてしまった感があります。

「学」の方もこのような復興施策に異を唱えるのかと思えば、「官・学」で実行委員会を作って復興シンポの開催と、「こんなところで足並みをそろえて」という蜜月もあり、もっともここで諍いを起こしてもらっても困るわけですが。

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壊さないように建造物に上ったり、庭の表土を剥ぐ「住宅除染」も大変ですが、行き交う車を避けての道路除染、さらに我が国の「国民的行事」ろもいえる年度末の駆け込み公共工事も一緒になって、自動車運転中も至る所で「規制」「片側通行」「徐行」、ありがたいやら・・・・・。





「営業損害賠償」
また、汚染水が別の水路から海洋流出していてたとニュース。2月末の報道とは別の話、地元も3.11の大震災特集報道に少々食傷気味の現状で、また東電から格好の放射能災害ネタの供出です。VTRでも見るような遣り取りがまた繰り返されます。

さて、このところ話題になっていたのが「営業損害賠償の打ち切り」とその素案撤回と先送り。話は避難地域内と外とに分かれますが、とりあえず簡単に言うと、事故のほとぼりも覚める頃だから、自分の儲けは自分で確保しなさいと言うこと。ところが例えば避難区域の双葉や相馬と言われる地域は、もともと産業基盤が強いところでもなく(だから原発の立地を許諾したという側面もありますが)避難を解除しても、放射能不安や職場・学校等の問題で避難者が戻らず、しかも地域の基幹産業であった漁業、農業が機能していない状態でそのの地域の事業者に「賠償を打ち切ります」と言うのが土台無理な話。稼ぎも頭数もいないところに「儲けだけ確保せよ」は不可能でしょう、しかも風評被害または販売自粛で外に売れない。

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昨年末、「賠償打切り」で、東電・経産省で素案を出してきた際も、「正直無理筋」はおそらく東電等もそれは百も承知で、ただ今後のための「駆け引き」「ブラフ」類かと思ってみていたのですが。
ところが、報道によると「地元商工団体や県の反発が大きく」とありますが、商工団体等の構成員(役員や会員)に聞いてみると、団体が県や国に上げた「要望」「撤回要請」等は全く手緩く、被災事業者の怒りを代弁してないそうです。ここにもそれら商工団体の監督官庁が経産省であることが(遠まわしに)影響しているのかもしれません。

彼らに言わせると、今回の打切り素案撤回にあたって、今後の賠償の枠組み決定までは「暫定的な処置を講じる」を講じて、被災企業の資金繰り当に万全を期すという経産省筋の表明に対して
「大体にしていままでの賠償自体「暫定的」としか言えない代物」遺失利益と言って「儲けそこなった分の利益部分は補填する」というもの。ところが従来の収益構造、たとえば商圏、ブランド価値、企業の信頼性等々永年かけて培ってきた「のれん」に対する毀損は含まれておらず、だいたい「賠償」などと言えるものではなかったとのこと

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先頃あるところで見かけたディスプレイ。なかなか、次のストーリーが見渡せない被災地です。


桃の節句
3月3日です。昨日は3.11特集ともいえるNHKの取材、時ならぬ吹雪く中での撮影でした。
3月1日は高校の卒業式、高校の玄関で見た咲きかけの紅梅を身近な場所で探したのですが、まだ東北は一部を残しては冬の気配から脱し切れません。

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木に咲く花と言えば、また「椿」。せっかくの「桃の節句」に春を探すのですが、なかなか自然は言うことを聞いてくれません。
代わりに色を探すと残念ながら「葉牡丹」。もちろん残念ながらと言っても、葉牡丹に罪はないのですが。

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今週末に24節季のひとつ「啓蟄」、そして国民的行事になった感がある3.11を過ぎればやがて春彼岸。駆け足で春がやって来ます、もう少々の我慢か。
新聞やネットのポータルを見ると、まさに真冬なのが「SHARP」。液晶テレビの勝ち組み世界の亀山モデルとして一世を風靡したものの、海外企業との価格競争に敗れ、太陽光事業も伸び悩みの様子。もともとPCが普及する前の「電子手帳」などで馴染みがあったものの、総合家電と言いながら「白もの」のイメージはあまりなく、得意分野の技術力的なイメージの強い会社でした。
一昨年も経営危機を言われましたが、持ち直したかと思えた矢先。まさに「一寸先は闇」の世界です。

何が経済・技術・社会を制するか予想も出来ない世界、そこに行くと「東京電力」と言う会社の訳のわからない生命力は何とも不気味です。