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雪の日三題
突然の大雪でした、大雪と言っても積雪は20cm程度。昨年2月の雪から見るとまだ可愛いものです、目立った被害もなく晴れ間の除雪が続いています。

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スーパーの駐車場では車の来店者が減るのは死活問題とばかり、ローダーとダンプで雪の搬出作業。積雪で制限される土木社業の代替えにもなり、スーパーにも作業者にも、お互いのメリットと言うところでしょうか。

積雪な中でも除染作業は進んでいました。足場の解体が雪の上で行われています。さすがに屋根のふき取りや表土の剥ぎ取りは出来ませんが足場の設置や解体は無理すれば可能です。

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そして、積雪を喜ぶのが子供。雪掃きで集まった雪で「かまくら」でしょうか。おそらく、この年齢の子供が生まれて間もなくの原発事故、そこで乳幼児を抱えた親の気苦労は大変なものであったに違いありません。

東電は昨年末までに4号機の使用済み核燃料の移送を終えた、今度は全面防御の服装で作業するエリアを縮小するなど、順調に作業が進んでいるような印象付けに躍起ですが、大体4号機は震災時には運転しておらず、もともと原子炉の損傷は無し。隣の3号機の水蒸気などが流入して建屋場吹き飛んだもの、いわば周辺整理の段階。隣の建屋まで吹き飛ばすような事故処理の稚拙さを責められこそすれ、とれも収束に向けて順調とは間違っても言えません。なにより、1~3号機について炉心損傷に実態さえも不明のまま。
汚染水のダダ漏れも手付かずで、収束はるか手前の汚染水浄化や汚染物質の中間貯蔵施設搬入も先送りに次ぐ先送り。この子供たちに余計なツケを回さないでほしいと願うばかりです。

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道端の異常 
最近はイスラム国の邦人拘束、女子大生の「人を殺してみたかった」という宗教団体の勧誘に行った高齢者殺人。通常では考えられない事件事故が相次ぎ、メディアが伝えています。例の後妻業も供述を始め「カプセルに青酸化合物」をいれて飲ましたとのこと、幾らなんでも立ち振る舞いから「尋常ならざる」と感じなかったのでしょうか。

日替わりのような重大局面の連続で、何かと忘れられがちな福島の原発事故後も、異様な風景が相変わらず続いています。
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年を越してから1か月、通常であれば10月11月で収穫を終えてある柿が熟し切って、まだ柿の木にしがみついています。
なんとも、無残と言うか無常と言うか。柿の形を見れば「蜂屋柿」干し柿の原料となるべきもの。この地方の干し柿「あんぽ柿」が原発事故の後、昨季からまた加工が始まり今季は加工エリアが広がった、「全袋検査が始まった」と言ってはいますが、一旦休止した加工販売がそうそう軌道に乗るわけがなく、根強い「風評被害」もあっていたるところに広がる「収穫放棄」です。

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かたわら地域の基幹産業のようになっているのが「除染作業」。一種の公共事業なのでしょうが、土木建築とは違ってこの公共事業は、道路や橋などのインフラを生みません。お金だけが「霞ヶ関発 福島経由 ゼネコン行」と揶揄されるところで、出稼ぎ作業員による事件・事故、小競り合いの後を絶ちません。
もっとも、このような業者に県所有の線量計を転売して、パチンコなどの負けの穴埋めをした県職員もいました。[豪]のものは何処にでもいるものです、百万円足らずで一生の安定を棒に振ることも、最初は小さな綻びからだったのでしょうが。




田んぼの白鳥
何度見ても奇妙な風景なのですが、先日も初めての道を通りかかった時に「田んぼに白鳥」がいました。

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イメージ的に、川とか湖に設置された「餌場」で優雅に泳いでいて、周囲に「お相伴」に預かりたい「カモ」が無数にいても鷹揚に来た餌だけを口にはさむ姿が白鳥のイメージでしたが、残雪の水田で餌を啄む姿は、少々白鳥のイメージとは違います。さすがに飛び立って、首を伸ばして上空を舞う姿は「白鳥らしい」のですが。

真っ白になる前の灰色がかった子白鳥もいて、まさに白鳥の群れです。
鳥インフルエンザを媒介するのが「渡り鳥」とされ、学校での飼育や野生の渡り鳥への餌付けが禁止になって、不要の風景も少々味気ないものになりました。

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もっとも、野生動物への餌付けがいいのかどうかは議論の分かれるところではありますが。
今が一番寒い時期なので、さらに南下することはないでしょう。ここで越冬して春シベリアに帰るのでしょう、彼の国では原油安で相当苦労しているようです。



里山の危機 2
安達太良山の遠景を撮ろうとしていたら、手前の荒れた雑木林が目に留まりました。よほどの銘木や切り出しのしやすい美林でもない限り「建築材」を供給する森林資源としては、山林は役目を終えています。つまり国内で調達するより輸入材の方が安いとのこと。
山林を所有する古老に聞くと、柱材になるような木が精算の後の手取りが1本100円になってしまうとのこと。建築材「スギやヒノキ」の生産には、植林や下払い間伐など長い時間と手間が必要です。

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逆に、スギ・ヒノキの当の建築材ではない広葉樹等の「雑木」の方が経済価値を呼びました。さすがに「木炭」は産業としては成り立ちにくくなりましたが、シイタケ等の原木、あるいはボート等の建築資材やパルプの原料として粉砕して使う分については、工場に近い立地に近い山林の方が有利です。

そこに前回述べたようにシイタケでは使用不可、数値をクリアしても風評被害を呼び込む原因になります。工業材料としても敬遠されてしまいました、一度供給ラインから外れると復活までが大変です。

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いつも紹介している吾妻山、福島市北部からのアングルが多いのですが、南部からの撮影、やはり吾妻小富士の形状等少し変わった表情です。
この山の噴火警戒レベルが上がっているとのこと、汚染水の海の課題ばかりではなく、山にも留意点を抱える福島です。
里山の危機
少子高齢化の中で「里山」と呼ばれる中山間地の人口減少と産業衰退は全国的に顕著で「福島もその例外ではなく」と言うよりも放射能災害によって一層深刻な状況が進んでいます。
昨年暮れに、東電と経産省が中小・小規模事業者の賠償打ち切りを打診してきました。素案と言う形で事故から5年で打ち切りると言うことを商工団体に伝えて、当然のことながら相当の反発が生まれています。

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ただでさえ産業を支えるのが大変な状況に、降り注いだ放射性セシウムによって生じたいわゆる風評被害と原木の汚染と言う実害に見舞われたシイタケ生産。
阿武隈山系は全国的に有名なシイタケの原木の生産地で遠く国東半島まで出荷され、彼の地のシイタケ生産に一役買っていました。
むろん地元福島でもシイタケ生産が盛んで、里山の貴重な産業資源でした。地元の原木が汚染されたのなら費用は賠償しますから他の地方から原木を買って栽培してください、と言ったかどうかは知りませんが、いわゆる風評被害によってここで生産荒れたシイタケなど売れようはずがありません。

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加温してシイタケを発生させる施設も放置されたままで、かつて原木を重ねる土台になったブロック片だけが所在無げに置かれています。
このような被災者に対しても賠償は遺失利益、つまり取り損なった収入だけ。転業や新たな収益源の確保は自分のリスクで行わなければなりません。
もともと事業とはそんなもの「事業者の自己責任ですよ」と言う冷めた目もありますが、電気事業者たる東京電力が収益の増加を図るためにリスク管理を怠って、遠方の多種多様の事業者や住民に直接間接に甚大な損害を与えたのは事実。

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他に与えた損害は棚上げにして「すみませんが汚染水処理は予定通りできませんでしたので期限を延ばします」なんとも困った人たちに、原発と言う危険極まりないない事業を託してしまったものです。
極寒の侯
大寒も過ぎました。大寒と立春の間は最も寒い時期とされています。冬至からひと月、日足は伸びましたが寒さは相変らずです。

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この冬は12月の気温が思いのほか低く、その影響でビニールハウスでも野菜の生育が遅れ気味です。その分、糖度等の品質は上がるのですが。

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野菜の「ニラ」です。あまり一般的な野菜ではありませんが、独特の風味にファンも多い葉物野菜です。有機栽培特有の淡い色彩ですが、画像からでも肉厚の重量感が伝わります。
30cm以上にならないと収穫しないので、まだ半分の伸びと言ったところでしょうか。キャベツやほうれんそうと違って、種をまいて収穫して、また種をまくと言うサイクルではなくて、伸びたニラを根元から刈り取って収穫し、また葉が伸びるのを待って収穫するものです。その年第一回目の刈取りを一番狩り、そして二番刈り三番刈りと続きます。当然後の刈取りの方が品質は落ちます、でもその落ち方を最小限で止めるのが「土づくり」生産技術の真価が問われます。

三番刈りでも四番刈りでも「肉厚」の高品質を保つ努力が寒さの中でも続きます。

もうすぐ大寒
小寒を過ぎもう直ぐ大寒、二四節季の大寒と立春の間が一番寒いのだそうですが、何れにしても真冬です。
冬の空も結構気まぐれで、晴天かと思えば突然荒れます。地域の名勝「千本松」、先頃は珍しく古都京都に積雪があり、金閣や清水寺が「この世のものとは思えぬ」ほどの美しく雪化粧していたことが話題になりました。

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実はこの松の周辺に採石場が出来て、松が埃だらけになっていました。やがて採石場が撤退して、元の景観が復活した矢先に、採石場跡地を放射性汚染部物質の「仮置き場」と言う要請があったのですが、激しい反対運動がありました。

まるで室町時代の水墨画を見るような「雪」と「松」のコントラストですが、この松には平安末期と伝えられるの伝承もあって地域の人達の心のよりどころになっています。

この地の自治体の長は、いわゆる「御用学者系」の研究者を重用するタイプ、その点南相馬市長とは異なります。どちらがいいのかは判断できませんが、そこはもはや「神の領域」。人が判断できるとすると「世紀」単位の時間が必要です。

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政治家とは因果な商売で、市内にはこのような看板も立ちます。先の市長選挙では周辺の現職首長が枕を並べて討ち死にする中、見事当選を果たしました。

阪神淡路大震災の日に
やはり朝方、地震の揺れで目を覚ましたのを覚えています。入居したばかりのマンションの2Fでした。
後日神職に入ったことで話題になった、当時NHKのアナウンサーが朝のニュースで、関西の状況を伝えていました。もちろんその16年後、東北でも津波を伴う震災に見舞われるなど、夢にも思わなかったのですが。

このところの阪神淡路大震災の特集の番組を見ると、神戸で地震と言う懸念は全くなく、大阪にいた人間は「東海トラフか」と思ったそうです。その点、福島も似ていて旧国名が「岩代国」岩盤が硬くて地震のない地域と聞いて育ちました。
もっとも神戸のような都市直下型ではないので、地震の災害よりも津波、それに伴う原発事故が16年度の東日本大震災の特徴です。

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原発事故現場から80㎞も離れた山間部、いつも通る道が工事中で迂回してちょっと山道に入りました。突然現れたバリケード、除染で出た放射性廃棄物の仮置き場です。「こんなところにもあったのか」と少々驚きました。
中間貯蔵施設への搬入がまたずれ込む見通しで、仮置き場からの搬出もそれに伴って遅れます。このような土地も期限を切っての契約でしょうから、契約延長も必要になります。

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見ると表示の放射線量は「0.17μSV/h」年間換算1mSVが0.23μSV/hより低い値で、それなりに適切に管理されていると言えます、もっとも自然由来の放射線量だけならば、あと1桁低いのですが。
このような自然災害以外の重荷を背負った福島の山野と住民。20年後などとても予想もつきません、エネルギー事情、CO2排出の環境負荷もよくわかりますが、この尻拭いも終わらないうちに「再稼働」はないでしょうとつくづく思いながら施設を通り過ぎました。
気象災害からの再起
昨年の2月、大雪が2回。特に後の豪雪でビニールハウスなど農業施設に甚大な被害が出ました。行政も素早く反応し「原状復帰」を前提に予算措置が行われました。
そこで問題が二つ、大雪で被害があったのだから原状復帰では再度被災する恐れがある、津波の来た場所にまた同じ構造の原発を立てるようなもの、差額は受益者が負担するので「被災した施設より強固なものを」という、一見当たり前の主張が通りません。このへんの融通の利かなさが「まさに行政機関」なのですが、予算の公平執行と言う大前提もあるので、一概に行政機関だけを責められません。
そしてもう一つが、他の復興需要とも重なる資材の高騰。
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震災前から、お付き合いのあった農家さんではないのですが、長引く風評被害に加えて昨年の豪雪被害に遭われた農家さんがいます。昨日はそちらの生産現場をお訪ねしました。
近隣の空いている大型ハウスを借りで昨年夏のきゅうりから急場をしのぎました、現在は冬作の小松菜が、もう過ぐ収穫期のこと。私どもの「農法」ではありませんがやはり有機志向、分析用のサンプルを頂きました。

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近隣ご自分の施設では立替がようやく終わったそうです、去年の3月本ブログで、頑強な鉄骨ハウスが「飴」のように変形しているのをご紹介させていただきました。

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ハードは予算措置で復旧できても、人の心理に関わる「いわゆる風評被害」そして、一旦流通から外れた「商流復活」は飽食の時代では至難の業。困難な困難な問題課題が、まだまだ山積します。


豪雪地帯 2
ここは前回の米沢、出羽路ではなくて「会津路」。米沢ほどの積雪はなくともやはり雪国。福島から土湯トンネルのある国道115で繋がります。

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昨秋に本ブログに紅葉の写真を載せましたが、ちょうどその辺りの山々も雪で覆われています。平坦部は青空でも峠に差し掛かると地吹雪、もっともトンネル開通以前の峠越えの頃は冬期間は閉鎖の道路でした。

福島から会津に向かいトンネルを超えると「猪苗代町」。スキー場や官軍と会津軍の古戦場を過ぎて平坦部まで下りるととささやかな市街地があって、その先に猪苗代湖その畔に千円札の野口英世の生家と記念館。会津若松はさらにその先さらに盆地の底に向けて下るのですが、猪苗代はその中段と言うふうに湖の周囲には水田が広がります、当然冬季は雪で覆われていますが。

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さらに猪苗代湖の市街地を挟んだ反対方向には磐梯山があり、その陰が裏磐梯。バブル期に開発され、その後身売りしたスキー場が「星野リゾート」によって再生されて営業を続けています。まずは観光と農業で成り立っている地域。

その猪苗代を通りがかったその日の日経新聞東北版に、東電の商工業者についての賠償打切り記事が載りました。いわゆる避難地域以外の「風評被害」に関する賠償問題については日を改めて書きたいと思いますが、日経記事に引用されていた、この猪苗代の観光業者の話によると「修学旅行などの宿泊者が原発事故前の3割」とのこと。
太平洋に面した原発事故現場から阿武隈、奥羽の2山系を超えて、放射線量も東京なみのこの地域でさえ[福島県」と言うだけでこの惨状かと悲しくなります。地吹雪以上に厳しい季節がまだまだ続いています。
豪雪地帯
放射能災害による避難は、山形県に多く見られます。隣県でも宮城や茨城は津波の被害があったのと「セシウムの拡散」も言われました。
山形は震災影響も少なく、放射能の影響も及ばなかったので避難が集中しました、太平洋岸の原発事故から日本海岸に向かおうとするのも当然の心理です。未だ多くの自主避難者もいます。

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福島市の中心部から、山形県米沢市の中心部まで車で1時間程度。これだけの距離でありながら震災も原子力災害も全くの無縁の場所で、何ともうらやましく思えて仕方のないところです。

この地の山形大学工学部と正式な共同研究を立ち上げることになりました。当方の事業内容を学術的な知見と施設のある大学に研究を委託すると言うことです。実は震災前から研究者を等して情報の交換は行っていて、始めようとしていた矢先の3.11。特に原子力災害によって進むに進めない状況でありました。現在でも、なお厳しい状況ですが再生のためにはやはり動きを止めるわけには行きません。

そのような訳で、積雪の米沢にも何度か足を運んでいます。逆にたった1時間の距離で、これだけ福島と積雪が違うと言うのも新鮮な驚きです。

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何年か前の大河ドラマ「天地人」で舞台になったところでもあり、結局最後は仙台に落ち着く伊達正宗も生まれは米沢。もともと福島県北部の伊達地方の領主だった伊達氏。山形南部(置賜地方と言います)に所領を伸ばし、米沢に本拠を構えたからには、雪深さに負けない魅力があったのでしょう。

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裏腹に放射能災害で住居を追われ、または自主的に難を逃れてきて、雪のない福島から来て積雪のこの地で生活をする羽目になった人たちの苦労が忍ばれます。戦国末期、正宗の出生頃に伊達氏と対立していたのが相馬氏。正宗の父輝宗は米沢から相馬に向けて出陣しました。
相馬氏の領地は相馬、双葉。何とも言えない因縁を感じながら雪の壁を越えてきました。





ほうれんそうと小松菜
「ほうれんそう」と「小松菜」。形状や栽培方法が似ているので同類、亜種とみられてしまいますが、ほうれんそうは「アカザ亜科」「アブラナ科」れっきとした他人です。

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ほれんそうの原産地は西アジア、大まかに言えばキュウリや桜桃もあの辺りとされ、同様にシルクロードで東西に伝わりました。どうも「ほうれんそう」はポパイのイメージが強く、アメリカ大陸かとも思うのですが、ジャガイモやトウモロコシとが逆にヨーロッパ経由で向うに伝わったようです。
寒さに負けず、今年も肉厚に仕上がっています。風評被害で消費が伸びないのが本当に惜しい。

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方や小松菜、もともと品種改良によって現在の江戸川区で生まれた江戸野菜、葛西菜と呼ばれていました。江戸の粋人が全国から葉物野菜を取り寄せて「葛西菜」に勝るものなし、と折り紙をつけた野菜です。

東京の有名百貨店に、商材としてこの小松菜を持ち込んだ時に「小松菜は江戸野菜、何で東北から」と言われたものですが、東北の寒さに耐えた肉厚とその寒さに葉傷みのない品質が評価され看板商品になりました。もちろん有機栽培の堆肥から作り上げました。
ところが、やはり放射能災害以降需要が急落、[おいしいんだけど」と売り場担当者も肩を落とすばかりです。POSで売り場の商品を管理するうえで、私情で商品を設定できない昨今のマーけティング、悔しくて悲しい日々が続きます。




新年の信念
雪をかき分けての検体採取のわけが、3日の雪は4日の晴天と5日の意外な気温上昇で土の上での検体採取になりました。分析用の「小松菜」「ほうれんそう」です。雪どころか逆に「ぬかるみ」が気になります、このへんが農業の難しいところ、いや面白いところ。

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暮れ、正月に呼んだ何冊かの本の中に、マクロ経済の伊藤元重教授(東大・経)の著書「流通大変動」があります。たまたま昨年1月発行の第1刷を買っていたのですが、諸事情に忙殺され読み損ねていました。そして昨年夏には全く別の事情で伊藤先生の研究会と係わりが出るのですが、購入時には知る由もありません。

この本の第4章「そうは問屋が卸さない」の項目に「農業の六次産業化を流通から考える」があって、農産品のバリューチェーンを分断してきた「農協」「青果市場」功罪を、[流通」の見地から分析しています。

しからば、分断の無いように川下のスーパーや外食等が直接農業生産に乗り出す事例も出てきていますが、「雪のつもりがぬかるむ温かさ」と、気象はコントロールできないので、需給量のミスマッチと言う問題が出現します。

では、気象要因の影響が少ない「植物工場」と言う選択肢になるのですが、昨今の状況を見ると、農業生産向けの開発と言うよりも農業生産施設販売用の開発といったところで、施設供給者(サプライヤー)の言い分で導入すると「見学用施設」で終わってしまいそうです。なんとか、生産活動として自立できる「植物工場」になってほしいものです。

正月早々話題があらぬ方向に行ってしまいました。とにかく今年も農業生産・流通現場の「イノベーション」に務めて行きたいと思います。

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「消費者満足」を高めることを起点として生産流通をブラッシュアップすること。そして、川上・川下のWIN-WIN。原子力災害下の福島からのさらなる挑戦です。
仕事始め
今回の年末年始は、御用納めも仕事始めも週末に当たり、なんとなく収まりの悪い気がします。もっともその分、カレンダー通りの方は休日は長くなるわけで、9連休も当たり前でしたでしょうか。

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福島駅前も思ったより閑散としていて、アベノミクスは地方と中小には及んでいない・・・やはりそう言うことでしょうか。
震災以前は、首都圏の有名百貨店の初売り用商材と言うことで、お雑煮用の野菜などを送り込んでいたものですが、そこからもう4年か。

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駅前のビルも、元旦からの初売りもひと段落、オフィスは明日からと午前中の消防出初めも終わるとこちらも閑散。明日からの活力に期待しましょう。冬至から約2週間、少しだけ夕方明るくなったような気がします。寒はこれからですが、春に向かって頑張ります。明日は雪をかき分けての検体採取です。
迎春
年が明けました、おめでとうございます。
例年詣では「稲荷神社」でしたが、今年は受験生がいるので「天神社」。宮司が友人だと有難味に欠けるのは仕方のないところですが、とりあえず神頼みです。

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大晦日の雨とは違って、今日は粉雪。石灯籠にも白い粉が覆います、いままだあまり気にしませんでしたが、やはり商売の神様「お稲荷さん」と「天神様」では境内の雰囲気が違います。

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ごったがえす初詣での列も正月らしくていいのですが、寒気、粉雪、静寂。天神様の紋所「梅」の季節を待つ佇まいも正月らしくて良いものです。
菩提寺のお年賀にも伺いました、八百万の神々に加えて仏様にまで護っていただける日本の新年です。