一転して寒い立春です。上京の新幹線を待つ間1月のロスを取り戻すべくブログを。 昨日は冬木立の実家に庭でしたが、今回は自宅の庭です。 当地域でも年明けから除染が始まりました。説明会から半年、その間当市を始め周辺自治体では現職市長が負け続け、除染進捗に対する焦りは住民よりも行政機関のほうが高かったかもしれません。加えて「手抜き除染」なす指摘も散見され、住民の怒号が市役所にも押し寄せます。

裏庭(というより通路)にあり、このブログでも何度か紹介したことがある「紫陽花」。周囲の玉砂も取り去り土の表面も剥ぎ取りました。株自体撤去していただいて構いませんと言ったのですが「除染マニュアルにはない」とのこと、ブロックを担当する施工業者→エリアの除染を落札したJV(ジョイントベンチャー)→発注先の市担当課→除染全体を監督する環境省、一見では判らないヒエラルキーがあるようで現場でも携帯で指示を仰ぎながらの作業になります。

原則剪定はしないとのこと、芝を剥ぎ取った庭では立ち木だけが目立ちます。
今朝の地方紙での特集記事、隣接の自治体での市長選挙(ここでは何とか現職が勝ちました)公示直前に現職が全市の前面除染を公約に掲げたところ「(線量が比較的低い)Cエリアの除染は健康に関係なく面的な除染は見意味」と市長に進言してきた市政アドバイザーは「市民がそろそろ現実的にならないと全国から愛想をつかされる」とため息をついたそうです。 「安心まで求めて多額の費用を費やすのは国民の理解が得られない」と多田氏なる市政アドバイザーは懸念するのですが、そもそも事故被害者たる福島県民が国民の理解を心配する必要まであるのかがどうしても疑問です。 科学的知見から見て「健康に被害が及ぼすことはない」ということでしょうが、問題は「科学的」がそもそも信頼されていないところが問題で、科学技術の塊のようなものであって災害を引き起こすことは有り得ないと言われていた原発の事故災害のうえに立っている現象を、科学的な根拠によって心配はないというのはどうも説得力はありません。この程度の放射線量は地球上には自然放射能によってもたらされる地域もあり、特段懸念を要するものではないと言う見解はともかく「事故前の水準、現状回復は事故当時書の責任ですよね」と言う住民の意向は当然過ぎるものであって、電力料金に上乗せされて国民は負担することになるといっても、それらを含めたものが原子力発電コストであって都知事選がどちらに転ぶにせよ、基本的に被災者の責任でないことは確かでしょう。
原発事故被害者の立場を複雑にする要因に、法的に言う「受益者相殺」というものがあるらしく、結構被害を被ったとしても損害の可能性があることが予見できて、事前に利益を享受していた時には被害賠償がある程度相殺されるということらしいのですが。専門的なことなので的を得ているかどうかわかりませんが、結局原子力発電所なるものは事故のリスクがないとは言えない嫌悪施設で、危険を承知で誘致や建設許可を出し半面雇用や固定資産税等で地元はメリットがあったので、事故があったのは全面的に電力会社や国の責任とは言い切れないのではないかと言うことです。 この辺はデリケートな問題で、仕事や生活の場を追われた方の怒りや悲しみを慮ると決して同調はできないのですが、福島県は広くいわゆる中通地方の一般住民は、東電の原発事業からは何の利益を得てないわけで風評被害を含む原子力災害のとばっちりを受けたわけで、市政アドバイザーにはこの辺もあわせて市政のアドバイスをしていただかないと「御用学者」の誹りは免れなくなります。「はい、実際マダムでそれが私の業務です」と言う返答も来そうですが。
再び我が家の庭、剥した芝は可燃物として焼却施設へ、残土等は専用容器で中間貯蔵施設が出来るまで埋設へとマニュアル通り作業が進められました。

テーマ:ほっとけない原発震災 - ジャンル:政治・経済
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