年の瀬も近づくと、話題は流行語、今年の漢字、紅白歌合戦。昨今はレコ大や歌謡大賞は印象が薄いようです。「大賞」と言う変換も直ぐには出てきませんでした。
その昔、千昌夫の「北国の春」がロングヒットを続けている頃、3年続けて紅白で「北国の春」を唄ったときに白組司会の山川静夫アナが「3年続けて同じ歌」と紹介し、逆説的に「超息の長いヒット」をアピールしたそうです。

で、今年も3年続けて同じ話題になるのですが、どうしても書かない訳には行かないのが「放置された柿」の件。特産の干し柿「あんぽ柿」は、乾燥で果肉が凝縮するので「セシウムの濃度が上がりやすい」との懸念から過去2年加工が見送られました。 今年は試験的に加工出荷の動きにはなったものの、地域限定でその中でも1割程度。検査機器のキャパがあるので大量には検査できないということと、セシウムの出方が予断を許さないことで本格出荷とは程遠い「アリバイ作りのようなもの」と言ってしまうと、樹皮を削ったり果実が青いうちから検査したりして、ともあれ加工に漕ぎ着けた関係者には失礼でしょうか。

と言う理由で、事故前にはちょうど今の時期には収穫がほぼ終わり皮の剥かれた柿が簾のようにカーテンのようにオレンジの塊になって干されている頃ですが、相変らず樹上に地面に放置された柿ばかり目立ちます。 桃栗3年柿8年と言いますが、将来の収穫を夢見て植栽し管理してきた経済植物が、放置され収穫物が打ち捨てられると言うことは「銭金」の問題ではなく社会にあってはならぬこと。
今年も、あるいは来年もこのような光景が繰り返されるのかと思うと、ちょっと胸が詰まります。 農業とは言え経済行為、業務上のリスクは付いて回るものには違いはありませんが、どうしても被害者にとっては「予測不可能」にして「回避不可能」な人為的な災害。法律的には原陪法によって原子力事業者の無限責任」が定められているようですが、とうの事業者は足元の水処理で手一杯の様子。

また柿の木の傍では「除染作業中」の看板が所在無さげに立っています。これも億の方ではエンジンの音がするので土を剥しているか、高圧洗浄をしているのでしょう。近隣の首長選挙では現職が負け続け、役場も叱咤の声で業者に仕事を急がせている様子が良くわかります。急ぐのは当然のことで選挙の結果とは関係ないという声も聞こえてきそうですが、その割にはエンジンがかかるまで少々時間が掛ったようです。
テーマ:ほっとけない原発震災 - ジャンル:政治・経済
|