このテーマで何度か書きました。風評被害についてあまり強調すると、寝た子を起こすと言うか、忘れかけていた記憶がよみがえり、逆に不安材料を煽ってしまう恐れがあるので本当は触れたくない部分なのですが、状況が状況なのでやはり申し述べないわけには行きません。

梅雨が明けようやくカッとした日差しがやってきました。水ぶくれと日照不足に悩んでいた桃も夏の陽を浴びて、水銀柱同様糖度もうなぎ上りの筈で、何とかお盆においしい桃が間に合ったと胸をなでおろすところです。観光果樹園や果実直売所も相当客が戻ってきていると言うことも言われていますが、統計上はともかく個別に話を聞くと、原発事故前とはまだ水準に差があるようです。
連日ニュースになる原発事故現場の汚染水問題、東電には任せておけず国が直接乗り出すと言うことは報道の伝えるとおりです。考えてみるとチェルノブイリのウクライナ・ベラルーシは社会主義体制下、東京電力とは事情が異なります。国策民営で推進していた原子力発電、そこで起った大事故について事故現場を国家管理にせずに民間企業の東京電力に処理、対応を任せてきたことに最初の無理があり、その無理と矛盾が日を追って深刻化してきたということでしょう。 東電も不都合な真実は矮小化し、事故処理は粛々と進んでいるように印象付けたいのでしょうが、結局それが嘘を嘘で塗り重ね、結局週休が収拾がつかなくなったのが汚染水の問題だと思います。 あれほど大量の地下水が太平洋に流出していないと考える方が不自然で、「汚染水は太平洋には流出しておらず海水のBqの上昇と福島原発事故との因果関係は不明で、上昇についての原因は調査中である」などと言う東電の発表が「無理がある」と感じるのはほぼ全ての国民でしょう。
漁協関係者の心労は察するに余りありますが、「東電の発表はあてにならない」「当初の見解が次々覆される」「国は対策費を計上しているが色々なの制約があって事業の実施が進まない」こなれれば、福島の原発事故対応などと言うものは伏魔殿のようなもので、「あそこと起っていることは訳が分からず何事も信用できない」という国民心理が生じたとしても不思議はなく、それの余波で旅館は客足が戻らず事故現場から何十キロも離れた観光果樹園の客足もまばらと言う事態になってしまいます。

「がんばって除染もしキャンペーンもしたのにね」と言うため息が聞こえてきそうです。福島の桃「あかつき」は今が最盛期、この暑すぎる天候で日に日に桃の糖度も増します。 東電と言う一民間企業の対応では、まだまだ二次三次被害が広がってしまう。そんな危惧と言うか現実がそれこそ津波のように襲ってきます。
テーマ:ほっとけない原発震災 - ジャンル:政治・経済
|