かつて何回か公費で海外に行っていました。公費ですから目的を果たす役割がるので出発前から仔細情報を入れられ、渡航先での注意喚起もあります。 その時分言われた事はまず対人トラブルに際し謝ってはいけないということ、日本人同士なら「すみません」は潤滑油のようなもので、まずトラブル修理への入り口のですが、外国で(特に欧米先進国で)謝罪を口にすると自己の非を認めたことになるということです。

先日、福島県内で放射能事故で農業経営の前途を悲観した農家が自殺したことについて、ADRの仲裁案に従って東京電力は事故と自殺の因果関係を認めて拝承金の支払いを決めたとの報道がありました。同時に遺族が望んでいた謝罪には応じないことも表明したようです。
見ようによっては東電は「金さえ出せば」と言っている様に見えるのですが、ここでポイントが幾つかあります。ADR(紛争審査会)で処理されたことであること、これが裁判ならば判決が意に沿わず上級審まで争ったが覆らずそれに従ったというならまだしも、ADRの勧告に従ったのは自ら因果関係を認め賠償に支払を決めた、従って非を認めながら「謝罪」には応じないと言うのは日本人の心情として理解しがたいのですが。 古くから商家に関る格言で「頭を下げるのは只」と言うものがありますが、公益企業の雄、官僚よりも官僚的といわれる東電は謝罪はご容赦いただきたいという意向です。非を認めたのに謝らないと言うことにまずは理解できません。西欧諸国並みに謝罪の曲解や拡大解釈を懸念するのでしょうか。

反面、謝罪ではありませんが頭を下げ続けていることがあります。事故原場に流入する地下水の海洋放出の問題。「原発事故現場に流入する地下水は冷却に使った汚染水とは異なり放射能汚染は低レベルであり、保管に限界があり今後の収束作業にも支障をきたすので太平洋への放出を容認いただきたい」と県や漁協に理解を求めているもの。まずは話の筋は通っており、漁協の連合会も容認の姿勢は示したものの各単位漁協から風評被害拡大の懸念から慎重論が相次ぎ解決が先送りされていました。そこに、当初地下水の放射性セシウムが検出限界値以下としていたものの、検査方法の不備を指摘され再検査したところ今度はセシウムが検出されました。東電はそれでも「充分許容値よりは低い濃度」と海洋放出への理解を求めて各地で説明会を開いていますが、当然の様に反応は鈍いようです。 恐らく科学技術的なデータよりも企業としての姿勢が問われているのだと思います。公益企業とは言え民間企業なので株主や債権者に対する責任があり、不要な出費は避けるのは当然ですが「因果関係を認めたい上謝るのは当然だろう」と言うのが一般的な国民の声だと思うのですが。
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