福島には花見山という桜の名所があります。写真家秋山庄太郎がその桃源郷のような風景を紹介したことにより一躍有名になりました。

先週はテレビアニメ「サザエさん」でも紹介されたようです。震災前は市街地の交通にも支障が出るほどの混雑でしたが、さすがに今年はそれほどでもありません。かえって交通整理のガードマンが目立つような按配です。 とは言え、日本列島に豪雨と強風が吹き荒れた春の嵐が過ぎ、今週末が福島では桜が満開。原子力災害の憂さでも晴らすように爆発的な人出を期待したいところです。

青空に映える桜もいいのですが、『花曇り』という言葉がある通り、曇天で少し霞んだような天候の桜花も風情があります。
北朝鮮のミサイル発射も世界中の関心を集める大ニュースなのですが、東電原発事故現場の汚染水漏れと移送のトラブルも負けず劣らず連日大きなニュースになっています。 以前から原発に付設された専用港の海水のベクレルが高い数値を計測していて、高濃度の汚染水が流入しているのではないかとの指摘がありました。それに対する東電の見解は、「事故現場可の汚染水は適切に管理していて海に流出することはない」「海水のベクレル地が高い理由は分からない」素人や子供が考えても、汚染水が(故意にとは言わないが)海に流れているとしか考えられないのに「理由は分からないがそれは無い」と強弁すのは、辻褄の合わない(にせ)情報を流し続ける北朝鮮とあまり変わらないではないかと思ってしまいます。
第二次世界大戦中は電力事業は国家管理下に置かれていて、終戦後松永安左工門や木川田一隆などの財界人が活躍し民業主導の業界再編や事業化がなされて、これが戦後産業復興の原動力にもなった訳ですが、巨大地震はあったとしても、東電の体制や事故対応は「人災」といわれても仕方がなく、この事故処理は少なくとも事故現場の廃炉までの対応は、やはり「国家管理で対応」すべきであると考えます。賠償や除染を考え合わせると巨大企業とは言え民間企業のキャパシティを超える対応を求められています。
東電もソフトイメージを演出して、「平時」を装いたいのでしょうが、スポークスマン役の男性社員も田舎の市役所の窓口のお兄ちゃん風で、(まじめ風ではあるものの)緊迫感や理性が伝わってきません。女子社員についてはもはや論外で、賠償のお問合わせ窓口のオペレーターでも連れて来たのかと思うレベルです。

この写真の手前に小さく見える東屋が花見山の中腹にあります。ここからは福島市街地が一望でき、その後方に吾妻連峰を望むことが出来ます。 花見山がこんなに有名になる前は桜の回廊を登り、休憩がてらにここから市内を眺めるのが楽しみでした。その後あまりのも有名になり、震災前何年間は花の季節に花見山に辿り着くのさえ大変のことになりました。
放射能災害による混雑の緩和では、これもまた本末転倒です。芋を洗うような行列がこの風景に加わることを願っています。
テーマ:ほっとけない原発震災 - ジャンル:政治・経済
|