
全村避難の村 飯館村、決して人影が見えないというわけではありません。福島と南相馬を結ぶ交通の要衝、しかも福島から南相馬の南隣、浪江町に抜ける道路は封鎖中ですから勢いこの道の交通量が多くなります。その交通を規制して除染作業も進行中、人影が見えない道路に野生動物が、と言うことは幹線道路沿いに限ってはありませんでした。 しかし、住宅には人が居らずほとんどの事業所が業務を停止しているので、夏草だけが生茂る奇妙な光景は見て取れます。
ここは飯舘村商工会館、以前ならば商工業者や行政担当者が出入りする活気のある場所のはずが、看板も雑草や樹木の陰に隠れ気味です。 個人的な思い入れがあります、ずいぶん以前ですが私が「講演」と言うものをはじめて行った場所です。パワーポイントも一般的でない時代、おそらくスライドも使わなかったように記憶しています。 この飯館村は「村おこし」と言われる地域活性化運動のシンボルのような地域、そこで「村おこし」の講演に来たのですからずいぶん怖いもの知らずの行為でした。でもそこそこ受けたらしく、後日浪江町からも依頼が来てさすがに丁重にお断りしたことも覚えています。

フリーマーケットが行われていた会場も封鎖され物置になっていました。 いわゆる、過疎・高齢化が進む中山間地、主たる産業は農業、畜産業そして林業。公共事業や地方交付税が行き詰る前から智恵を絞って産業お越しに取り組んできた土地柄です。 平成の大合併からも離脱しました、全く独自の自治体運営を始めて間もない頃の大災害と、とばっちりの放射能の大量汚染。わずかながらご縁があったものとしてもこの地域の行く末を考えたときに胸が詰まります。
消息が取れない知人も何人かいます、きっとこの地を離れても個々にがんばって生きているのだと思います。3年で帰村というのはちょっとしんどそうですが、この地が「夢のあと」になってしまわないことを祈るのみです。微力ながら、これからも若干のお手伝いも出来るのではないかと思っています。

建物は朽ちても心までは朽ちないようにとこの地を通るたびに思っています。
テーマ:ほっとけない原発震災 - ジャンル:政治・経済
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