広島原爆の日、長崎、終戦記念日と夏の暑さ、旧盆と例年通りの夏が過ぎようとしています。 広島の式典でも盛んに福島についてのメセージが語られましたが「核」という要素だけで、基本的に違う問題を引き合いに出すことに多少の違和感は覚えます。
昨年の初冬、澄んだ冷気と冬の帳に差し掛かった小さな「社」を紹介しましたが今の季節は真逆、夏草に埋もれるようにたたずんでいます。永年氏子の暮しを見守ってきた社は、この住民の苦境をどう見るのでしょうか。

神社といいえば、東日本大震災で福島県の海岸線で象徴的な現象が起こりました。海沿いの神社は津波の被害を受けていないということです(当然内陸の神社も津波の被害がないということですが)。 神様が神社を護ったと言う見方もあるでしょうが、それはともかく社会学的に分析すれば、住民は御神体のような尊いものを祀る時、土地の伝承で津波の被害のありそうなところを避けたというのが定説のようです。
先端技術、調査を駆使し、安全について万全を期したといわれる原発立地よりも、土地の言い伝えの方が信頼性が高かった、と言うのもなんとも情けない話です。 平安時代に起きて、東北地方の海岸線に甚大な被害をもたらしたとされる「貞観地震」、研究者にによっては「伝説の事変であり歴史的な根拠は不明確」として取り合わなかったようですが、地質学的に調査すると大津波によると思われる堆積が500年に一度の頻度で確認される、という見解。
ここまでくると本当に予測できなかったのか、知らないふりをしたのか。さらにはそこには利権や便宜供与はなかったのかと言うことになります。

福島産の農産物販売が元のペースに戻りません。 元来経営的に厳しかった農業がさらに事故前水準から落ち込んでいます。個人の努力の範疇でどうなるものではないものの努力を怠るわけには行きません。 農家も支援組織も一体になって取り組んでいます。「世界で一番安心の食べ物は福島産」と言ってもらえるように試行錯誤と挑戦は続きます。
「60年前の歴史に思いを寄せて命をなくされた方のご冥福と世界の平和を祈願する」とは別に、今起きている現実を直視し、原因を究明し責任を問い、再生へのビジョンを明確にすることがまずは福島に課せられたミッションであるのだろうと思っています。
テーマ:ほっとけない原発震災 - ジャンル:政治・経済
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