
仮設住宅も2度目の夏を迎えます。いかにエアコンが入っているとは言え、金属の屋根・樹脂の壁・コンクリートの床下に申し訳程度の断熱材が入った「ウサギ小屋」のような住居では実も心も休まることはなさそうです。
政府事故調査の最終報告が出ました。民間・東電・国会に続く報告書ですが、ここでも菅元総理の過剰介入、東電の状況認識の甘さと事故処理の不手際、自治体等が縦割りの弊害で対応の拙さ、またどこかで聞いたような調査報告がなされました。 自己弁護し終始した東電の事故報告書は論外にしても、判で押したように同じ問題点が指摘されています。
今まで権威や権力の象徴のように崇められてきた大企業、大学、内閣、行政機関などが実はなんとも心もとない「張子の虎」のような存在だったことが浮き彫りになっています。

震災直後は、この大規模な天災地変と予期せぬ放射能災害に際し「明治維新」「終戦」にも匹敵する国の転換期とする声もありましたが、数々の問題点や不手際が浮上しながらも震災後僅か1年半に満たない間に国の転換期というような危機意識はどこかにいってしまったようです。 何の過失も落ち度もない被災住民が不自由な暮しをしているなか福島島県民はいろいろな人間を見てきました。
冒頭に書いた劣化とは、権威や権力や象徴であったような機関ばかりでなく、そのようなところと対峙するべき役割のような所まで相当劣化が進んでいることに愕然とします。
京都の某私立大学、寡聞にして震災後初めて聞いたその大学はなんでも漫画関係の文化教育が有名なところだそうですが、震災が福島に来てやっていることがまず漫画以下、除染ボランティア団体に取り入り除染方法として接着による放射能除去を試したのですが、相手にされないと知ると臆面もなくボランティアをかなぐり捨ててて企業関係者を入れて実験、それでも相手にされないと何を言っても音沙汰なし。データ採りや実験に協力してくれた方の所には試験の残骸がそのまま残っているそうです。

彼等とコンタクトを取った地元大学の関係者は、「私は現場作業員みたいなもので」と言い訳をしたきり梨のつぶて。日本を代表する大企業東京電力が下請け作業員の線量計に鉛のカバーを付け、作業被曝がさほど出ないような細工をしていたことが明らかになりましたが、身近でも一応大学と名のつく権威の下にぶら下がっているようなところまでこの有り様では、まさに日本の劣化というしかありません。
震災以降福島を離れた研究者もいますが、志願して、まさに職を辞して福島に来られた研究者もいます。そのような人たちと、未来に向けて何が出来るか、福島の再生は既存の権威ではなく地域に寄り添うような柔軟な思考であると思っています。
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